「ジーザス・クライスト・スーパースター」ジーザスのGethsemane、ユダのSuperstarを翻訳&深読みしたらトンデモない仮説立てちゃった(笑)

ジーザス・クライスト・スーパースター』シリーズ最終回。この記事では、満を持してジーザスのGethsemane、ユダのSuperstarに挑戦。歌詞を翻訳し、内容に関する感想を語り、分析してみることで「神というより一人の人間としてのジーザスを描く」というこの作品の核心に迫る。

同時に、少し行き過ぎた深読みまでしたくなってしまった。それくらい歴史がエンタメとして楽しめる作品だということも分かった。

ぜひ最後までお楽しみください!

破滅を悟ったジーザスが自らの運命の理不尽に地団駄を踏むGethsemane

翻訳

これだけは言わせてくれ
もし方法があるなら
この毒杯をどけてくれ
呑みたくなんかない
私を焼き尽くしてしまうから
私は変わった
最初のころのように確信が持てない
あの時は心が燃え立っていた
今は身も心も疲れ果てた
聞いてくれ 期待以上だったはずだ
3年の努力が30年に思えるほど
他の誰にもここまで出来はしないだろう

だがもし私が死んだら
あなたに従ってやったこと全て どうなるのだ
私を憎め 打て 傷つけろ 木に打ちつけろ
私は知りたい 知りたいんだ 神よ
私は知りたい 知りたいんだ 神よ
分かりたい 分かりたいんだ 神よ
分かりたい 分かりたいんだ 神よ
なぜ死ななければいけないのか
以前にも増して広く知れ渡るというのか
私の言動の価値が重くなるとでも?
私は知りたい 知りたいんだ 神よ
私は知りたい 知りたいんだ 神よ
分かりたい 分かりたいんだ 神よ
分かりたい 分かりたいんだ 神よ
もし死んだら 報いはあるのか
もし死んだら 報いはあるのか
知らなければ 知らなければ 神よ
知らなければ 知らなければ 神よ
なぜ死ななければならないんだ
無駄に殺されないと証明できるのか?
あなたの全能をほんの少しでも見せてくれ
私に死んでほしい理由を教えてくれ
どこでどうやって死のうと なぜ死のうと 関係ないのか

わかった 死んでやる
見ればいい 私が死ぬところを
私の死に様を見ていろ
私の死に様を見ていろ

あの時は心が燃え立っていた
今は身も心も疲れ果てた
3年の努力で終わったが 90年にも思える
だったらなぜ終えるのを怖がっている 自分が始めたことなのに
あなたが始めたことだ 私ではない
神よ あなたの意志は変えられない
だが運命のカードを握っているのはあなただ
あなたの毒杯を飲み干してやる
十字架にかけて破滅させろ
血を流し 打ち据え 殺せ
私を連れていけ 今すぐ
この心が揺らいでしまう前に
今すぐ この心が揺らいでしまう前に
今すぐ この心が揺らいでしまう前に

感想は文化によって賛否両論ありそう

キリスト教関係者の方がもしこの記事をお読みになっていたら、ごめんなさい。私は神様を全然信じない体質でして、かなり冷たい目線で捉えています。ご不快になりそうでしたら、ここから先へ行くのはお止めください。

30歳そこそこの若者が自分の死と向き合うなんて、そりゃ怖いだろうね。人生これからなのに。繰り返し訴える箇所に「ちきちょう、ちきしょう」と胸を掻きむしるような思いが現れている。

しかし、私含め宗教が苦手な人は頭にはてなマークがいっぱい浮かぶことだろう。日本人のキリスト教徒は人口の1%らしいから、大多数の日本人が同じことを考える可能性はある。

2001年映画版でも2012年UKアリーナツアー版でも、ジーザスは「自分が始めたことなのに」と「あなたが始めたことだ」の間でハッと気づくような顔をする。映画版のジーザスなんて “No(違う)” と口走って “What YOU started! I didn’t started!” と叫び出す。

…ていうか自分が信念をもって始めたことを神様のせいにするんかい(笑)。

自分で考えたんでしょ~?誰も頼んでないけど~?…って言われたらどうすんだ。

これは信心深い人あるあるだと予測している。なぜかというと、私自身の友達がそうだったからだ。その人は経験なイスラム教徒で、「私の人生に自分で選んだものはない。すべてアラーに導かれている」と断言する。

でもそれは、失敗したら神様のせいにできるってことだ。いるかどうかも分からない、姿かたちも知らない存在に何か命令された気になって行動するなんてゴメンだね。で、ダメだったら自分の不幸の原因を押し付けるってさぁ、どんだけ無責任?

とまあ、こんな感じで白けてしまうかも知れない。激しい歌なのだけれど、音と同じくらい激しく訴える内容なのかどうかは、文化によるところが大きいかと思う。

それでもミュージカル俳優憧れの曲

しかし、音楽としてはものすごく歌い甲斐がありそうだ。事実、多くのカバーが世界に存在する。

聴けばメロディが難解で複雑。耳に心地の良い美しい曲とは言えない、正直言って変な曲。楽譜を読むのが大変そうだ。なにこの高音!ってくらい男性のファルセット(裏声)を使って、それだけでも珍しい。

ということは、ハイトーン自慢でファルセットも使えるミュージカル俳優さんにとっては歌ってみたい曲ベスト10に入ってもおかしくない。それに、決して美しくない難解なメロディで心の苦しみや葛藤を描くからこそ、俳優さんは表現に挑戦したくなるかも知れない。

内容は多少理解しづらくても、音楽作品としてのヘンテコさと難易度に気付くと実は中毒性の高い曲かも知れない。事実、私も最初は「はぁ??」と引いたくせに何十回も聞いて結局は翻訳までやりたくなってしまったのだから。

ジーザスを一番近くで見守り、裏切り者となったユダが地獄から説教するSuperstar

翻訳

ユダ:

あなたを見るたびに分からなくなる
自分がしてきたことなのに なぜそんなに手に負えなくなったのか
計画性があればもっと上手くやれただろうに
なぜこんな古い時代の こんなおかしな場所を選んだんだ
今なら国を丸ごと手に入れられただろう
紀元前4世紀のイスラエルにはマスコミだっていないんだぞ
誤解しないでくれ
知りたいだけだ

コーラス:

ジーザス・クライスト ジーザス・クライスト
あなたは誰?何を犠牲にしたの?
ジーザス・クライスト・スーパースター
あなたは他人に言われている通りの自分だと思うの?

ユダ:

教えてくれよ エラい友達のことをどう考えてるか
あなた以外の選抜メンバーに誰が思い浮かぶ?
仏陀はあそこまで行ったのか?あなたが行きついた地位に?
ムハンマドは山を動かせたのか?それともただの宣伝?
あんなふうに死ぬつもりだったのか?失敗だったのか?それとも
ひどい死に方をすればトップに立てると思った?
誤解しないでくれ
知りたいだけだ

コーラス:

ジーザス・クライスト ジーザス・クライスト
あなたは誰?何を犠牲にしたの?
ジーザス・クライスト・スーパースター
あなたは他人に言われている通りの自分だと思うの?

ユダにとってキリストは尊敬しているけれど残念なリーダー

すでに亡くなり、時空を超越したユダが現代のスペックをもって2千年前のイエスに話しかける。

コンサートで歌えば大盛り上がりの楽しい曲だが、作品の中であくまでユダとして歌う時はぜんぜん笑顔でなんか歌えない。劇団四季でも映画でもアリーナツアーでも、ユダは怒りと嘲笑の混ざった顔をしている。

計画性がなかったから手に負えなくなった、ね。

イエスたちの活動の短期目標は、まあエルサレム入城とかユダヤ教の悪いところを正すとか。でもそれ以上具体的な計画はあったのか?中長期的な目標はあったのか?漠然と「世の中をよくする」くらいでは続かない。そこが曖昧だったから、なりたくもないユダヤの王として群衆に祭り上げられた?

少しでもビジネスパーソンとしての心得があるなら膝を打つ内容。戦略がないまま突っ走ってしまった結果、マネージメントできる範囲を超えたから悲劇を招いたのだ。

マスコミもいないのにどうやって広めるってんだ?と言っているユダ。確かにね。テレビ、新聞、ラジオだけでも、イエスがおじいさんになる頃にローマがキリスト教を国教にするくらいできたかも。ネットがあれば、それこそ3年であっという間に一国を乗っ取ったかも。

「誤解しないでくれ、知りたいだけだ」と繰り返し歌っているのは、ユダがイエスを憎んだから裏切ったわけではないという訴えだろう。

ユダは作品の最初からイエスに「ドツボに嵌まっているからなんとかしろ」と説教しつつも、裏切る時でさえ「こうするほかない」と必死の形相。酷い尋問を受けるイエスを助けてくれとカイアファのもとに殴り込み、そのまま首をくくってしまう。

一番の理解者であり右腕、一番頼りになるチームメイトをこうしてしまったのは、イエスのリーダーシップが残念だったからに他ならない。そういう論理を当てはめると、聖書の物語といえど親近感が湧いてくるような。

キリストの処刑って、もしかして…とヤバイ妄想をしてしまった

2コーラス目の歌詞を聞いてドキッとしたのは私だけだろうか。磔という死に方は計画だったか。失敗だったか。それとも?

次の行は「ひどい死に方をすればトップに立てると思った?」と書いたが、 “Did you know your messy death would be a record breaker?” という英語をバカ正直に直訳すれば「あんたの滅茶苦茶な死がレコードブレイカーになると知ってた?」となる。

記録を打ち破る死に方。そうよね、こんな悲劇的な死を迎えたのは世界三大宗教でキリストだけだ。もしかして、知ってたのではなく仕組まれた?

ここからは本当に妄想になるのでエンタメとしてのみ楽しんでほしいが、私は作品を観てトンデモナイ仮説に至った。キリストの処刑は本人が知っていて、覚悟の上だったのではない。12使徒全員で仕組んだ結末で、しかも後世でユダ1人が罪をなすり付けられたのではないか。

キリスト教徒でない私は作品を観ながら気になったことがあった。

最後の晩餐でイエスは「この中から裏切り者が出る」と言い、パンとワインを分け与え、次第にブチ切れ、ユダと言い争い、ユダはそこから飛び出してイエスの居場所をカイアファに知らせに走る。

そして、その場に一緒にいた12使徒たちは、そのまま呑気に寝てしまうのだ。

…寝ないだろ!!

ユダが裏切りに行ったの見てたよね?だったら、まともな危機管理能力があれば逃げるか武装して対抗するよね?本当にイエスが大切なら助けようとするよね?イエスがすべてを悟って諦めている感じだったら首根っこつかんでも一緒に逃げるよね?

こんな命にかかわる問題を放置して寝るなんて、感覚としてあり得ない。

さらに考えれば、キリスト教がこんなに世界を席巻したのは、イエスの死後に12使徒はじめ弟子たちが頑張ったからに他ならない。磔にされたイエスを神と同一視し、イエスの存命中よりも遥かにスピーディに布教が進み、ユダヤ教の一派ではなく新宗教として発展した。

この2点を考え合わせたうえ、ユダが歌った「記録を打ち破る死」という一節を聞いて、上記の仮説に着地してしまった。

神のため人のために命を捧げて処刑される「神の子」を作り上げようと、12使徒で画策し、連絡役としてユダが使われた。そのユダが自殺したのをいいことに、残りの使徒たちは「ユダがたった1人で裏切った」と福音書に書き、すべての罪を着せられた。

イエスは裏切りを覚悟していたのではなく、全然知らなかった。なのに後世の福音書で知っていたように捏造された。だって神の子だもん、自分の運命くらい知ってたって書いた方が強く印象づけられるよね?という感じで。

事実、磔にされたという悲劇がキリスト教最大のアピールポイントになって世界を席巻した。ローマ帝国とユダヤ教を乗っ取るために、12使徒が事実づくりから記録まで計画性をもってシナリオを完成させたとしてもおかしくない。

生前のイエス・キリストは12使徒が書いた福音書にしか残されていない。他の記録が残っていないということは、いくらでも嘘が書けるということ。

起こしてもいない奇跡の数々も、イエスの噂に尾ひれがついていただけなのに本当にあった事実のように書かれたかも。
イエスにとっては青天の霹靂だった裏切りと磔も、自分で覚悟していたように歪められたのかも。

最後に

全部、「知らんけど」のレベルに過ぎないが。要はそれくらい想像が掻き立てられる作品ということだ。

イエス・キリストを人間らしく描く目的で作られた『ジーザス・クライスト・スーパースター』という作品と歌詞からここまで妄想してしまうなんて(苦笑)。危ない危ない。まあ本当に、知らんけど~のレベル。

多種多様なアイデアが湧き出ちゃって仕方ない、というクリエーターたちの声が聞こえてきそうな演出のバリエーションを見ていてもそう思う。歌詞の中で現代的な言い回しが多用されていることからも、ほのめかすメッセージは次々出てくる。

面白いと思われた方、是非とも劇団四季の全国公演やアマゾンで見られる映画版、UKアリーナツアー版など試してみてください!

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