「イザボー」石井一孝さん演じるブルゴーニュ公フィリップを語る!

ミュージカル『イザボー』の登場人物と俳優さんを熱く語るシリーズ第2弾は、ブルゴーニュ公フィリップを演じた石井一孝さん。

フィリップは「豪胆公」の異名を持っていたが、その名のとおり肝の据わった政治家っぷりだった。ミュージカルでは「クソジジイ」扱いされていたフィリップだが、史実では常にイザボーの味方でフランスに貢献した屈指の政治家。

一方、中身の石井さんはフレディ・マーキュリーを師と仰ぐシンガーソングライター、下町のアンチャン、ある意味ゆるキャラ!?

怖~いフィリップしか知らないそこのあなた!最後まで読めばきっと、フィリップも石井さんも愛すべき男に見えるはず!*ネタバレ注意です。

素の石井一孝さんは葛飾のアンチャン、みんなのオトン時々オカン

ロック・ミュージカルなのだから本物のロッカーで俳優の経験も豊富な人材が絶対欲しい。その意味で、バリトンとシャウトとフェイクを自在に操る石井一孝さんは欠かせない。

俳優とシンガー・ソングライターの二足の草鞋を履き続けて30年有余年の百戦錬磨。どっしりとした存在感。いるだけで安心感が違う。

こうしてオンならキリリと舞台を引き締める石井さんだが、オフを見ればギャップ萌えすること請け合い。葛飾区出身でチャキチャキの江戸っ子、下町のアンチャンなのである。

公演プログラムで若手男子たち3人からは「最年長がカズさんで本当に良かった」と言われている。周りの人を引っ張りながら癒しているらしい。

石井さんを知らない人に是非とも訪れてほしいのがインスタグラム(kazutaka_ishii_official)。腰を抜かすようなオモシロ文章が溢れている。

ある時は「豪胆公だから、ごうたんって呼んで」。またある時には古風な乙女言葉を使って妄想小説を繰り広げ、「あら、私?武留豪蛭子よ♡」…ブルゴー・フィル子。なんとフィリップの息子ジャンのママになりきって、グッズのトートバッグを紹介しつつ夕飯のお買い物中。

笑いが止まらないので電車の中で読むならご注意を。さらにはコロナ禍のお家時間で料理を覚えたらしいが、載っている手料理はぜんぜん高価でも豪華でもなく、庶民的な家庭料理。

なんなんだこの親近感。この人、エライ人なんだぞ。ミュージカル界の重鎮で30年以上も第一線で活躍するスターなんだぞ。どうしてこんな普通なんだ。どうして「にぃに~」とか「ママ~」とか呼びたくなってしまうんだ(笑)。

下町っ子で飾らない。これが持ち味なのだとお見受けする。みんな大好きになっちゃうよね。気さくで優しく、頼られる兄貴であり、周りをパッと明るくする。俳優さんもできる、作詞作曲もできる、カルチャースクールや専門学校で講師もできる、様々な人の気持ちになって文章の創作もできる。

カンパニー最年長にして一番ファンキーなのもこの人ではないか?

石井一孝さんの貫禄が醸す質実剛健のブルゴーニュ公フィリップ

ひと睨みの威力

石井一孝さんは目が大きい。俳優さんとして最大の魅力であるその眼ヂカラを駆使して、役作りの間に分析した人物像や場面ごとの喜怒哀楽を、繊細に深みをもって表現する。フィリップの眼もあらゆる場面でモノを言っていた。

一言で表せば、ひと睨みの威力が群を抜いている。

フィリップの眼差しは冷たくイカツイ。冷めているのでもなく、もっと上へと熱を漲らせるのでもなく、冷徹なのだ。

ほかの登場人物の親世代にあたる彼は、みんなが今のことばかり考えている中、ただ一人だけもっと先の未来を見据えていた。政治家としての地位は、すでに行けるところまで上り詰めている。あとは息子や孫の代も長く安定させることを目指すのみ。だから常に先のことを沈着に見ていた。

特にその眼ヂカラを効かせていたのが、第1幕であっという間に国王発狂の知らせを民衆に広めてしまった場面。

「この隙にイングランドが攻めて来るぞ、お終いだ」とパニックに陥り自分にすがってくる人々を、高いところから氷のような眼で見下ろし、「国王は政治ができる状態ではない。代わりにブルゴーニュ公一族を頼りにしなさい」と歌う。

陰どころか、名ばかりの国王の代わりに権力の頂点に立っている。

民衆の不安に寄り添うフリをしつつ自分に権力を集中させる。根を張っている大木のように、立ち姿は静かで微動だにしない。シルエットで映し出される顔は、客席から見上げてもブルッと来るような凄みのある眼をしている。

笑顔の怖さ

一方では怖い笑顔も見せてくれた。発狂した国王に代わって政治を牛耳るフィリップに若いイザボーが「なぜ王妃である自分に政治の仕事を変わらせてもらえないのか」と抗議する場面。

その直前、扉を開けて現れるときは先程と同じ、冷徹な無表情。しかしイザボーに詰め寄られると余裕の笑みを浮かべる。「王妃は子供を産んで着飾っているだけでいいのに政治なんて」と、イザボーの懸命な思いを全否定したうえ、話にならんとばかりさっさと行ってしまう。

優しげでありながらバカにしている。微笑んでいるのにイヤったい目で睨まれている気分になる。

その直後なのだ。イザボーの少女時代、まだ彼女がドイツでエリーザベトと呼ばれていた頃の幻影が、イザボーに話しかける。「イザボー、あんたはあのフィリップとかいうクソジジイにはめられたんだ」と。

…まあそう呼びたくもなるわな。夫のために頑張ろうとしたのに妊娠マシン扱いされたのだから。

桐生操氏の研究によれば、英仏百年戦争時代、女性の地位はかつてなく落とされたとのこと。戦争勃発のきっかけが女系の血筋でイギリス王がフランスの王位継承権を主張したことだったために、特にフランスでの女性は本当に子供を産むだけの道具と化していたらしい。

だからフィリップにとっては当たり前であり鉄壁の掟、イザボーにとっては理解しがたい屈辱であっただろう。

こんな、女性ならムギギギ~となってしまう悪役のように怖いフィリップだが、ロッカーな石井一孝さんを活かしたファンキーな場面がある。

息子ジャンに「シャルル6世はもうダメだ。父上が国王に取って代わればいい」と言われた時、長いこと考えないようにしていた王座への欲が一瞬だけ過ってしまったようだ。キツネにつままれたような目がそう物語っていた。

それを自ら否定し、すごくヘヴィーなロックのソロ曲を歌い出す。「従兄に向かってンなこと言っちゃいかんだろーが。もっといい権力の握り方がある」と、渋いバリトン音域でシャウトしちゃうのだ。どうも野心を刺激されてしまうとギターをギュイ~ンと掻き鳴らしたくなるらしい(笑)。

いつもは冷徹に静かな青い炎だけを揺らしているのに、裏では野心を赤く燃やしながら不敵な笑みを浮かべている。やはりファンキー大王だ。

フランス王国におけるラスボス

フィリップは先王シャルル5世の弟であり、国王にはなれなかった。
しかし兄が没してから長年、王族のナンバー2として甥であるシャルル6世の摂政を務めてきた。
シャルル6世が精神疾患を発症しても王位を奪い取ることはせず、陰で糸を引くことを選んだ。

国王など自分の操り方次第でなんとでもなる。
いざという時に矢面に立たされ、いつ引きずりおろされるか分からないトップより、2番手として裏ボスに君臨する方がオイシイ。
反逆者になるリスクと比べてもトップになる利益は少ない。
決定権だけ持つより実行部隊として手を動かす方が面白い。

おそらく彼はそう考えた。事実、そうして国王ではなく公爵に収まることで、ブルゴーニュ公は代々フランスの中心人物であり続けた。

実にしたたかである。かつ、地に足がついている。王位という無理ゲーは無理とあきらめ、肩書がないことを利用して実際は国の最大の権力を手中に収めた。フィリップの眼差しに宿る凄みはそこから来ている。

一方、第2幕で髪に白いものが混じった時は、真面目なおとっつぁんだった。女王のように君臨するイザボーを支え、公爵たちの筆頭として相変わらず政治の最前線にいるが、心配事は増えるばかり。肩書だけかっさらって放蕩三昧のイザボーとルイに諫言する役割である。

威圧感でねじ伏せるのではなくきちんと言葉をかけることで、尊敬すべき人であることが窺えた。去り際に見せたあの眼は心から王妃と国の現状を憂えていた。「だから俺の方が良かったんだ」ではなく「王国のリーダーなのに、たいがいにしなさい」と。

こういう人は敵に回すのではなく、上手く懐に飛び込むほうが利益が大きいのにと考えざるを得なかった。イザボーは摂政権だけあっても政治なんて勉強したことがないのだから、「書類整理でも何でもしますから教えてください」と食いつけば目をかけてもらえたのでは。

真面目に政治をやりたいフィリップはそれでも撥ねつけたとは思えないが、甘いかな?

イザボーの代わりに史実を歪めて描かれたブルゴーニュ公フィリップ

本当のフィリップはイザボーの味方だった!

ここでどうしても、史実とミュージカルの物語が異なる点を指摘しなければならない。すべてを史実通りにすると、きっと第1幕のクライマックスを作れなかったのだと勝手に想像している。それに、脚色後はイザボー豹変の理由が分かりやすく劇的になっている。

桐生氏の研究によると、イザボーが権力を握ることとなった王命を提案したのはフィリップだった。

イザボーにとっては夫と自分をくっつけた人で、フランスでの父親のような存在であり、政治的にもずっと味方だった。
フィリップは決してイザボーが女性として社会的な地位が低すぎたことを憂えたのではなく、イザボーに決定権のある肩書を持たせて自分が実権を握るという筋書きは頭にあった。

ミュージカルでは王弟ルイが王令を発布したことになっていたが、史実は真逆なのである。

イザボーはフィリップの提案に賛成し、フィリップに引き続き政治の仕事をやってもらいながら夫と自分の立場を守った。その時、彼女は政治の仕事に興味などなかったのだ。

イザボーが本格的に権力を握り始めたのは、フィリップがペストで亡くなった後。弟ルイと怪しい関係になったのも、フランスでの頼れる保護者だったフィリップがいなくなってしまったからである。

ここで初めてブルゴーニュ派からルイのオルレアン派に乗り換えたのである。

ミュージカルでは肝心のここを逆転させている。フィリップの女性蔑視発言によりブチ切れたイザボーがルイを味方に引き入れ、クーデターを起こしたという筋書きである。

いうなれば、イザボーの女性としての壮絶な人生を際立たせるため、フィリップの人物像が理不尽なほどに書き換えられてしまった。もしかして、こんなふうに史実は曲げられて伝えられるのかもしれない。

物語上では私利私欲にまみれた悪役であるが本当は国のために尽力した人物という点では、『三銃士』のリシュリュー枢機卿とよく似ている。

虐げられてきた女性を蘇らせるのはいいが、そのためにほかの歴史上の人物を必要以上に貶めるのは、シーソーが逆転しただけ。それじゃだめだ。

フィリップが自らの野心を燃やしていたことは間違いない。しかし国王が機能不全の間、ずっとイザボーを守り、政治を司ったのは間違いなくこの人だった。この記事でせめて彼の名誉回復といきたい。

黒死病で亡くなる場面が実にもったいない

フィリップの急死こそがイザボーの人生を狂わせた。なのに、フィリップの死の場面はほんの短いソロで終わってしまった。

若いシャルル7世役の俳優が「黒死病」に扮してカッコよく歌うことがメインにされており、フィリップは黒死病に憑りつかれて落命する。み、短っ!

それだけではない。役の背景をこれでもかと掘り下げる石井一孝さんの芝居歌は天下一品だ。フィリップが自らの運命と戦い、祖国や息子やイザボーを憂う歌があれば、ずっと価値が重い場面になったはずなのに。非常にもったいない。

ガックリと言わざるを得ない。素晴らしい技術を持つ俳優さんの見せ場を作れなかったうえ、大切な歴史の転換点があまりに軽視された。

第1幕ラストシーンのジャンヌ・ダルクはかなり説明的で間延びし、長すぎる。あれは正直いらない。代わりに黒死病でフィリップが亡くなる場面の曲をもっと深めれば、フィリップという歴史上の重要人物が女性蔑視の悪役で終わることはなかった。

最後に

『イザボー』で一番女性から嫌われる男、フィリップ。しかし中身の俳優さんは癒し系のアンチャン、歴史上の本物のフィリップは屈指の政治家でイザボーの父親代わり。

これで少しは先入観を取っ払うことができたでしょうか?貶められてきた女性のレッテルをひっぺがすことは大切。しかしシーソーのように、男性が必要以上に貶められることはないと信じている。でないと男女やジェンダーは永遠に対等な関係ではなく上と下が入れ替わるだけだ。

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