「ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル」超考察!圧巻のパフォーマンスとモヤる物語

『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル』の再演が2024年夏、帝国劇場と大阪に帰ってくる。その前の予習として、映画版とブロードウェイ版(動画)を見比べた筆者がエンターテインメントとしての魅力や物語に対する考察を語る。

最後までご一読の上、筆者と同様にちょいと尖った感想を持った皆様は、是非とも挙手くださいませ。

『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル』は音楽とダンスの宝箱

ぼったくりが悔しいからYoutube視聴とアマゾンの映画レンタルしてみた

映画は私が中学生の時だったか。悲劇だったような。あれを今ミュージカルでやるの?なんて思っていたら、あれよあれよという間に日本初演は完売し再演まで。2024年8月、熱狂の中で千秋楽を迎えた。

『ムーラン・ルージュ!』は2001年にミュージカル映画として上映され大ヒットし、舞台版は2018年にブロードウェイでプレミア上演されてから今に至るまでロングランを続けている。

曲ではLady MarmaladeとSparkling Diamondsを聞いたことがあり、確かに中学生の心にも響いた。しかし、そんなにすごいの?日本版の俳優さんもスターが勢ぞろい…と思い、日本初演のときにチケットを取れそうか調べてみた。

たっか!

料金を見て愕然とした。S席17000円。ぼったくりだ。A席でさえ15000円だと?ふざけるな。値上がりしてるからって何にそんなに使うわけ?俳優さんやスタッフさんのお給料はちゃんと増えてるんでしょうね?

悔しまぎれにYoutubeを検索してみると、なんとブロードウェイ版のフルムービーを発見(注:今はもう消されたようです。違法だったのかな?)。これでええやんと興味本位で視聴。ついでに映画版も動画レンタルで見比べてみた。

クラシックから流行りのポップスまで巧みにつなぎ合わされた音楽

なるほど、ジュークボックス・ミュージカルか。

作品のために作られた曲はCome What Mayのみで、ほとんどは往年のヒット曲が使われている。
中には様々な曲のフレーズを1つの曲にした組曲のようなものもあり、ホイットニー・ヒューストンやらポール・マッカートニーやら大スターたちのラブソングがフレーズごとに飛び出す。
それを主役2人が夜景の中で熱唱。ただ1曲ずつを並べただけでなく、非常にテクニカルに繋ぎ合わされているのが印象的だった。

最初のカンカンの場面にはオッフェンバックの「天国と地獄」にLady Marmaladeがくっついて、いやはや見応えたっぷり。
エルトン・ジョンのYour Songは主人公のクリスチャンとヒロインのサティーンの愛を象徴。Your Songはエルトン・ジョンの声で聴いても感動できるが、ミュージカル俳優さんが情緒たっぷりにデュエットすると倍も感動的になる。

舞台版は映画版の上映から17年も過ぎているので、レディー・ガガ様の曲が第2幕の冒頭で登場。めちゃくちゃテンションが上がる。

映像の技術で楽しめる映画と違い、舞台はショーの部分が特に華やかで壮大になっていた。第1幕の冒頭Welcome to Moulin Rouge!も映画版より断然すごい。巨大なハートと真っ赤なセット、豪華な衣裳で踊りまくるダンサーたちと、よりドラマティックにアレンジされたLady Marmalade&オッフェンバック。

これ、全部アメリカやイギリスでのヒット曲だけど日本語に訳すの?大丈夫?なんて考えてしまうが、いい感じの訳詞はついているのかな?…と思ったら、なんとなんとユーミンはじめ翻訳家だけでなく作詞を普段から手掛ける音楽家の皆様が、複数人で訳詞をご担当とのこと。

それはすごい。翻訳を勉強しただけではどうしても音楽的な要素をうまく訳詞に反映できず、リズムや抑揚に違和感のある訳詞はミュージカル界に溢れている。しかしこの作品では、リズムや韻まで美しく音に乗せた素敵な歌詞ができあがっているのではないだろうか。

観劇された方、印象的だった訳詞があれば是非教えてください。

あらすじは、ジェンダー規範ぶちこみまくり

結局、男って病弱でセクシーな女が好きなんだ。

しかし。しかしだ。私はこの作品が2024年現在の日本で人気を博しているという事実に警鐘を鳴らしたい。

こんな前近代的な物語が今の日本で人気を博しているのか。だからこの国はいつまでたっても頑なに変われないんだ。

はい。これがラストシーンを見た後での正直な感想。正直、本当に正直、ドン引きした。

決して俳優さんの悪口ではないのです。俳優さんやスタッフさん、命懸けで舞台を作っているに違いありません。素晴らしいパフォーマンスを作っておられるでしょう。ファンの方々もきっと俳優さん目当てに観劇する方が大半でしょう。
ただ、私がひたすら腹立たしいのはストーリーなのです。そこだけ分かってください。

登場人物にも物語にも、これでもかとジェンダー規範があてがわれている。ジェンダー規範とは、「男・女はそれぞれこうあるべき」「だいたい男女それぞれにこういうキャラがいるはず」という、ジェンダーに対する一般的な先入観のこと。

結核に苦しむ美しい高級娼婦。
お金はないが才能がある若いイケメン芸術家。
お金はあるが見栄しかない中年男の貴族(立派な仕事人として資産を築いたならまだ尊敬できるかもしれないが、貴族だからただの大地主ってとこか)。
トップスターに嫉妬する2番手の女。

ヒロインはお金持ちの貴族が自分を欲していることを知っている。
その男は、自分が男の所有物にならなければ恋人を殺すと言っている。
だから病気を隠し、恋人を突き放し、それでも恋人が作ってくれた作品を演じるため、舞台に立つ。
最終的に貴族は追い払われ、愛する男の腕の中で、綺麗な衣裳に身を包んだまま亡くなる。

実に分かりやすいジェンダー規範。愛のストーリーには古からの男の理想が表れている。

ていうか、結核患者が亡くなる寸前まで舞台で歌って踊るなんて無理に決まっとろう!!
普通ベッドの上で痩せ細って声も出ないし体も動かないんだよ!!
しかも何人感染するの!!どんだけ恐ろしいことしてんだ!!

男って、こんな恋をしてみたいのね。あ、そう…綺麗なまんま消えてくれるのがいいんだ。醜く老いる前に、自分の腕の中で美しく、ガクリとしてほしいの。

で、結婚する時はこういうの全部捨てて、恋の遍歴を揉み消して、自分や家の役に立ってくれる丈夫な女を選ぶわけ?

そんで自分の好き勝手に従わせ、全自動家事マシン&出産マシンのように扱い、搾取の限りを尽くし、また綺麗な女に浮気するわけ?

そんな男の欲望に女の私はガックリだ。

結局、守ってあげたくなるようなか弱さと美しさと危険な香りがあればいいのだ。囲み取材の様子もネットに流れてるけど、サティーンを演じる人気女優さんの衣裳、露出が多くてめちゃくちゃ綺麗でマスコミやネット民たちの鼻の下が伸びまくってる。

つまりこれが欲しいんだよ。そこしか見てないのかよ。

おそらく今の時代なら多くの男性が否定したがるだろう。見た目の美しさは品性の表れであり、知性や性格が大事とか言いたいんだろう。

だったら何故この作品が今この日本でヒットしているのか、何故あんたらが感動するのか説明できるかな?

物語と現実で理想の女は違うとか言ったらハッ倒すぞ。

愛は対等なものという当たり前 ~共感できる唯一のポイント~

ただ、そんな中で1つだけ「うーむ西欧の愛っていいな」と唸ったことがある。

クリスチャンが歌う、「最も素晴らしい幸せは愛し愛されること」。そう、愛は一方的ではいけない。愛したらちゃんとお返しに愛されることが一番大切なのだ。

無償の愛の美しさはよく言われるが、それがどんなにコスパが悪いかは『レミゼ』のエポニーヌや『ミス・サイゴン』のキムを見ていれば嫌というほど分かる。母の愛だって、時代が求める倫理観によって母性本能が無駄に神格化されているだけだ(オルナ・ドーナト著『母になって後悔してる』、2022年)。

しかし日本ではまだまだ無償の愛の方が道徳的に崇拝されがちである。愛されることを求めなくても愛するだけでいいとか。そういう台詞が美しいとされるし、ドラマや演劇、小説なんかの物語で人気キャラになる。

でもそれができるのって、よほど自分を諦めた人か、如来とか一部の聖人君主とかだけだよね?9割の人類には無理。愛されたいのは当たり前じゃないか。

最も素晴らしいことは何かと問うたとき、「to love」の後に「and be loved in return」と必ずついてくる。ここだけはこの作品のメッセージに同意できる。愛は対等であって初めて成立する。

『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル』はなぜ流行る?男女平等が聞いてあきれる日本

2022年日本初演、2024年に再演される本作。2024年の日本は円安と物価高と人口減少に苦しんでいる。女性が仕事と子育てを気持ちよく両立できる社会制度も環境も、いまだ整っていない。意識改革もできていない。

人口減少の原因は女が社会進出して子供を産まなくなったからだ、だから昔に戻って女は家庭に入れ、と言わんばかりに。

女性の社会進出が叫ばれているにもかかわらず、古めかしい制度がそれを許さない30年。失われた日本経済の30年。この2つが同じ時代に重なっているという事実が問題のすべてを物語っている。

なのに、今もまだバリキャリで子供を産んでいない未婚の女性に対し、日本社会は冷たい。税金にしろ労働環境にしろ、産まない女性への差別が甚だしい。道行く「子持ち様」は勝ち誇ったような顔をして、社会に守られるのが当然。ひとりで歩くパンツスタイルの女性は肩身が狭い。

メンタリストdaigoさんによると、女性の学歴と収入の高さは恋愛において不利になるとの研究結果が出ているそうだ。

2024年の都知事選で落選してしまったけれど蓮舫さんはこう主張した。「人口減少を食い止めようとすると、結婚させようとする。そこがいけない。産めよ増やせよじゃないんだよ。多様な生き方を認めないからだよ」ブッ刺さる。激しく同意。子育て応援のお金をばらまけば産みたくなるわけじゃない。

小池百合子さんの学歴詐称疑い?いい加減にしろ。彼女がもし男だったら、こんな不名誉なことは言われずに済むんだろう。きっと誰も疑わない。こんなバカなことが問題になってしまうのは、彼女が女性だからという理由に他ならない。女の学歴を悪口のネタにする奴はただの恐竜だ。

石丸伸二さんでさえ、気づいているのだろうか。日本の女性が地方から都会へ、日本から世界へ出ていきたがり、子供を産みたがらない本当の理由。それは、恐竜のように変われない人たちが若者を古臭い制度や因習に縛りつけるからだ

いつまでこうしているつもりだ。そう叫びたい日本で、ジェンダー規範モリモリの『ムーラン・ルージュ』は大人気。まったく情けない。

一つだけ考えられる人気の理由は、この作品の魅力はストーリーではなく歌とダンスと衣裳と舞台セットにあること。ジェンダー規範モリモリの悲恋に感動しちゃった人は置いといて、「to love and be loved in return」の点に共感できる人もまずまずいるかもしれない。

そして物語どうこう関係なく歌とダンスと俳優さんが好きな人がファンの圧倒的多数を占めるのだろう。そりゃあんなに人気俳優さんばかり揃えて、たくさん歌って踊るんだものねぇ。曲もいいしねぇ。チケットは飛ぶように売れるだろうねぇ。

ついでに言えば、ブロードウェイでも長年ロングランしているらしい。ニューヨーカーたちはどんな感想を持っているのだろう?やっぱり歌とダンスと衣裳と舞台セット?

だいたい、このジェンダーレスの時代に男女平等とか問題にしなければならない時点でおかしいのだ。ジェンダーレスの時代に男女差別とか、もういいよね?と思っていた。なのに、またしても男性に偏見を持ってしまった。本作がヒットしていることで、日本はその真っ只中にいると分かったからだ。

まあこの作品は版権がハンパなく高いだろうから再演を繰り返さないと採算なんてとれないだろう。それに、このバカげた物語を補って余りある歌やダンスやセットや衣裳や俳優さんたちの華やかさが、この作品をミュージカルとして十分に成立させてしまうのだ。ファンはカッコイイ俳優さんを目当てに来ているのだから。

インフルエンサーでもない、私のようなサイレントマジョリティーの1人が個人ブログで物語にツッコミ入れたって、東宝は痛くもかゆくもない。どうってことないだろう。だったら本作がヒットする理由にモヤモヤして仕方ないという感想くらい、書くことが許されなければいけない。

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