アンドリュー・ロイド・ウェバー大先生が『オペラ座の怪人』の続編として作ったミュージカル『ラブ・ネバー・ダイ』(”Love Never Dies”)。2025年1月17日~2月24日に日生劇場にて日本3度目の上演が決定し、新しいキャストも話題になっている。
あの名作には、続きがあった…この作品の登場だけでもなかなか衝撃的だが、あらすじも衝撃的。この記事では賛否両論あるあらすじの深掘り考察に挑戦。どうぞ最後までお楽しみください!※ネタバレ注意です。
あらすじは『オペラ座の怪人』から10年後のニューヨーク
あらすじは何度か改訂されている模様。『オペラ座の怪人』があまりにも名作すぎて批評家の意見も厳しく、ロンドンのプレミア公演後は世界各地の上演がキャンセルや延期の憂き目を見たこともある。まあ色々すったもんだしたらしい。
場面ごとの詳しいあらすじはWikipediaに載っているが、大枠はこんな感じになっている。
パリ・オペラ座の怪人事件から10年後。マダム・ジリーとメグ・ジリーの手引きにより、ファントムは逃げ延びていた。彼はニューヨーク市の遊園地「コニーアイランド」に潜み、見世物小屋「ファンタズマ」を経営している。
クリスティーヌを今もなお愛し、その想いは強くなるばかり。一方、メグ・ジリーはマダム・ジリーとともに遊園地のショーを作り、パフォーマーをしている。
そこへ導かれるようにやってくるクリスティーヌとラウル夫婦、10歳の息子グスタフ。クリスティーヌのコンサートがあるためニューヨークに渡ってきたのだ。
夫婦関係はどうもよくない。ラウルは鬱気味で酒浸り、ギャンブルまみれ。息子グスタフも父から愛されていないと感じているよう。母子2人でいるところに、ファントムが会いに来る。
そう、すべては彼の仕向けたことだった。クリスティーヌのために作った曲を、自分のためにもう一度歌ってほしいと懇願するファントム。なんとこの2人、クリスティーヌとラウルの結婚式前夜に結ばれていたというのだ。
グスタフはファントムの目の前でピアノの弾き語りをして見せる。即興で作った曲を見事に弾きながら歌う、あまりの才能の豊かさ。そう、グスタフの本当の父親はファントム。
ファントムは自分の遺産をすべて息子に譲るとクリスティーヌに約束する。それを陰で聞いていたのは、パリの見世物小屋でファントムを発見して以来ずっと支えてきたマダム・ジリー。
一方のラウル。酒場で一人、悶々としているところをファントムが訪ね、2人は賭けをする。クリスティーヌがラウルとファントムどちらのものになるか。
クリスティーヌがファントムのために歌えば、ラウルは一人で帰国し、クリスティーヌとグスタフはファントムとともにアメリカに残る。クリスティーヌが歌わなければ、家族はそろってパリへ帰れる。
迎えたコンサート当日、その賭けはファントムの勝ちだった。ラウルは去っていく。ファントムとクリスティーヌは愛を確認し合ったのだ。
しかし、コンサート中にメグがグスタフを誘拐。駆けつけたファントム、クリスティーヌ、マダム・ジリーに、メグはファントムのために体を売ってまでお金を稼いでいたことを明かす。ファントムは謝罪しようとするが、取り乱したメグは誤ってクリスティーヌを銃で撃ってしまう。
クリスティーヌはファントムの腕の中で亡くなる直前、グスタフに本当の父親はファントムであると明かした。そして「愛は死なない」とつぶやき、ファントムと最後のキスを交わして息絶える。グスタフは衝撃を受けるが、本当の父親を恐れずに受け入れる。
あらすじを詳しく理解するには、英語版をどうぞ
うっっっそだろーーー!!…って思ったでしょ?
クリスティーヌとファントム、よりによってラウルとの結婚式前夜にできてたんかーーーい!!…って思ったでしょ?
最後はクリスティーヌがメグの手にかかる悲劇かーーーい!!しかも、おもいっきり事故…オチが滑りすぎ!!…って思ったでしょ?
グスタフ、あの見た目の怪人が自分の父親だとよく受け入れたね!?どんないい子!?…って思ったでしょ?
確かに『オペラ座の怪人』でファントムの愛がどのように終わったか見た人からすればツッコミどころ満載。でも、なんでこうなったのか。
英語版を見ると謎が解けます。日本語で上演されたバージョンを観た方々の感想を読むと、英語の歌詞でバッチリ語られている情報がすべて届いているのか疑問がわきます。
きっと訳詞の問題です。訳詞者の腕どうこうより、英語歌詞を日本語に訳すと、言語構造の違いのために情報量としては1/3しか再現できないのが悲しき性(さが)。日本の翻訳ミュージカルの弱点だから仕方ない。
予習したい派の皆様、または日本版をすでにご覧になって納得いかなかった皆様、アマゾンプライムビデオに行ってください。メルボルンのRegent Theatreで上演されたミュージカルを録画した動画を日本語字幕付きで視聴できます。驚くほど細かいことが分かります。
もしくは、下記の考察をどうぞ。
あらすじ考察
『オペラ座の怪人』の終わり方を見ると、クリスティーヌは明らかにファントムを愛していなかった。ラウルを救うため、ファントムに無理やりキスしたクリスティーヌとその後のラストシーンが切なすぎた。
ファントムは、クリスティーヌのキスに愛がなかったことに気付いたのだ。そしてクリスティーヌがラウルを本当に愛しているから、彼を救うために愛してもいない自分に従おうとしたのが分かった。
愛してもらえないのだと悟った。だから2人を解放した。
クリスティーヌがファントムに指輪を返したとき、そっと「クリスティーヌ、I love you…」と歌いかけたその1行は、ラウルがクリスティーヌに歌いかけたのと全く同じ思い。でも、決して届かないことを知っている。
なのに何をどうしたら男女関係にまでなるんじゃい(失笑)!
と考えていたが、その答えは2つの曲に現れている。クリスティーヌが、息子グスタフが「パパは僕を愛してないのかな」と疑ったときに歌うLook With Your Heartと、クリスティーヌとファントムのデュエットBeneath a Moonless Sky。
2人が結ばれたのは月も出ていない暗い夜だった。ファントムの醜い顔さえ見えない闇の中で、ファントムの歌声と激しい求愛にクリスティーヌは酔いしれた。
「人は自分を愛してくれる人を愛するようになる」と心理学で言われているらしいが、暗闇の中でクリスティーヌは、見た目の醜悪さを超えたファントムの愛を感じた。
彼の歌声は、自分が求めていた音楽の天使。音楽の天使がくれる愛を心に受けとめた。目ではなく心を通して彼を見つめ、愛することができた。
クリスティーヌが息子に諭すように歌うLook With Your Heart。「心で見なさい」。物語の肝でもあり残酷さも持つ。
愛は奇妙なもので、変装している時もある。見方を間違えれば愛を見逃してしまう。だから、目ではなく心で見なさい。愛は美しいとは限らない。愛は取り違えると後悔することになる。
取り違えって…!なんと、クリスティーヌはファントムではなくラウルを選んだことを後悔していると分かる。美しくないと思っていたファントムの代わりにラウルを選んだことは間違いだったと、彼女は思っているのだ。
なぜか。ラウルはクリスティーヌを家庭に縛り付け、思うように歌のキャリアを歩ませてくれない。なのに酒とギャンブルばかり。ニューヨークのコンサートだって、彼の借金の返済が目的だ。
事の顛末を知った上でこの歌詞を聞くとドキリとする。
そして、この母の教えを守ってグスタフは本当の父親を受け入れた。グスタフは一度、ファントムがファンタズマの奥底まで案内してくれたときに仮面の下の顔を見てギャーッと逃げてしまった。
しかし、死の間際に母はなぜ自分に真実を打ち明けたのか。それは母がファントムを愛していたからだ。母が心の瞳で愛した父を、自分も心の瞳で見つめたら、受け入れるのは案外簡単なことだった。
愛は美しいとは限らないなら、この歪んだ顔の人も自分を愛してくれる父親に違いない。
メグ・ジリーにスポットを
この作品で陰の主役となっているのは、まぎれもなくメグ・ジリーである。結果的にクリスティーヌを手にかけてしまった友人。彼女の運命はあまりにも悲しい。
『オペラ座の怪人』でのメグは、あっという間にスターへ上り詰めたクリスティーヌに比べて影が薄かった友人。ただのダンサー。でもファントムを世話してきたマダム・ジリーの娘。そしてラストシーン、消えたファントムの代わりに残された仮面を見つける。
彼女があの後どうしたのか。きっと、様々な伏線を回収したかったのだろうと思う。
メグはクリスティーヌが大好きだった。良き友人であり、アメリカで偶然再会した時は心から喜んでいた。でもファンタズマのトップパフォーマーであるはずの自分を差し置いて、舞台をかっさらっていく。
彼女は世界の歌姫として名声を博しているのに、自分は水着を次々と脱いでいくストリップショーのようなこともやる、ただの遊園地の「ウララーガール」。
「ウララー」とはフランス語で「Oh la la!」。「あらまあ!」という感嘆を表す。つまり「ウララーガール」とはピエロ的、看板娘的に観客をあっと言わせるパフォーマーの意味であろう。
ファントムがファンタズマの経営をするため、母とともに捧げてきた10年。ファントムがいつか、そんな自分に振り向いてくれると信じて待った10年。
恋愛感情がどれほど強かったかは抜きにしても、自分がスターとして身を立てるために曲を書いてくれるか、才能を認めてくれるか、名誉を与えてくれるか、遊園地や財産を自分たち母子のために残してくれるかと、いろんな期待をしていたに違いない。
だって、10年だぞ。女性の、特に20~30代の10年は重い。無駄にしたなんて思いたくないだろう。ショーだけでなく体まで売って尽くしたのだから。何らかの形で報われなければ惨めにもほどがある。
それなのにクリスティーヌが突然現れ、ラウルとの息子は実はファントムとの息子だったという。ふざけた筋書き。だからファントムの財産はすべて息子に譲るとまで。
あんなに頑張って成功させた私のパフォーマンスは見てもくれない。何かを返そうなんて考えてもいない。私達はなんだったの?…メグがそう思うのは不自然でも何でもないだろう。
実際、メグが思いの丈をぶちまけるまで、ファントムは彼女の思いに全く気付いていなかったようだった。自分のことを思ってくれる人が他にもいたなんて、考えてもみなかったのだろう。マダム・ジリーとメグ・ジリーはビジネスパートナーくらいにしか考えていなかったのだろう。
だから、誠実に謝った。メグの心を鎮めようと向き合った。でも、もう少しで納得させられたのに、「みんながみんなクリスティーヌのようにはなれない」なんてポロっと言うから、メグはまた爆発してしまう。「いつもいつもクリスティーヌばかり!!」
「そんな些細な事に反応するなんて理解し難い」と思う人もいるかな?ここは女性脳を持っている人にしか分からない心理かも知れない…女性は他人が発する些細な一言、咄嗟の一言に反応する。相手がライバルのときは特にね。
いろんな意味で複雑な愛と人間ドラマを楽しんで
ものすごく残酷ではあるが、心で愛するとはどういうことかを突き詰めた末に導き出した、ファントムの愛が報われる形がこれだったのかもしれない。
『オペラ座の怪人』であんまりにも悲しい終わり方をしたファントムの愛。でも、彼にも一筋くらい幸せの光が差してほしい。制作陣はそう考えてこの続編を思いついたのかもしれない。
ルッキズムに一矢報いたかどうかと言えば…インパクトの大きさとしては微妙だが、そうかも知れない。
でも、ファントムとクリスティーヌが「いろいろあったけれど、それからずっと幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」という結末はどうしても思い浮かばない。
だからせめて、クリスティーヌがファントムを愛してくれたという事実を作りたかったのではないだろうか。
だからといって正直、クリスティーヌの迎えた最期はあんまりだし、悲劇にするにはなんというか…つまらない。スベる。思ってたのと違う。そんなネガティブな感想のほうが多いだろう。
だから海外の興行もあまり上手くいっていない。日本で3度も上演されている理由は物語の良さではなく、俳優さんの人気によるところが大きいかもしれない。あとは音楽?音楽は文句無しに圧巻。
いかがでしたでしょうか?別の記事で2025年版新キャストの皆様や見どころの曲、シーンをご紹介していきます。こちらをどうぞ♪
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