『千と千尋の神隠し』英語タイトルは “Spirited Away”、ロンドン公演中のキャストの方々がたまにインスタグラムでご紹介されているウェストエンドのRelaxed Performanceについて、ご興味を持たれている方も多いのでは?
まあ、そのまま「リラックスしたパフォーマンス」であるが「観客がリラックスした雰囲気で楽しめる日」と説明できる。
私はイギリス留学中、たまたまRelaxed PerformanceでBritish Sign Language、つまり英語の手話通訳がついた公演日に観劇する機会に恵まれたので、この素晴らしい制度について詳しくご紹介したい。
『千と千尋の神隠し』に限らず、これからウェストエンドで観劇される予定がある方のご参考にどうぞ。是非最後までお楽しみください!
ウェストエンドでのRelaxed Performance体験談
最初に、何も知らずたまたまRelaxed Performanceに当たった私の感想として。
なんてあたたかいんだろう!日本も真似してほしい!
この日を設定する意義は非常に高い。私はイギリスで初めての観劇が、なんとRelaxed Performanceの日だった。
演目はChitty Chitty Bang Bang。子供でも楽しめる物語と大人が唸るダンスや名曲がそろう、ミュージカルの中では古典的な名作。
会場内にはなんだか色んな人々がいて、子供と車椅子が日本の劇場より多い気がしたので、作品が子供向けだからかな?もしくはこの気軽さがイギリスの劇場の平均かな?なんて思っていた。
この制度を知った今になって考えるが、もしかしたら上演中に声を出していたお客さんや、会場に出入りするお客さんもいたのかもしれない。
しかし、音響に掻き消されてまったく気にならなかった。だいいち自分が舞台に没入してしまっているから目に入らない。
左隣にはお父さんのお膝に乗った、まだ足元がおぼつかない赤ちゃん。
主要キャストの皆さんが主題歌を歌いながらドライブする場面でお父さんが「ほら見てみな!楽しそうだね~チティチティバンバン♪チティチティバンバン♪」と一緒に歌い出しちゃうので、赤ちゃんはキャッキャと喜んでいた。
ちっちゃな足で腕を蹴られた私(笑)。お父さんが慌てて謝ってきたが、なんのなんの。赤ちゃんですから。
右隣には車椅子の女性と介助者さん。開演前に横目で様子を窺っていると、車椅子の方はたまに「うー」と声を出すが言語を発することができないようだった。上演中は私が舞台にのめり込んでしまったので全然気にしていなかったが、お隣さんは楽しめたかな?
上演が始まって一番ビックリした。上手(かみて)側の幕のいちばん前に紳士が立っており、どなた?…と思ったら、なんと手話の通訳者さん!
俳優さんの動きを見、台詞や歌を聞きながら、表情もバッチリつけて手話の通訳をしている。主題歌の最中なんて膝でリズムをとっている。楽しい場面は通訳者さんも楽しそう。切ない場面はしっとりと。めくるめく展開がある場面は目がまんまる。そしてカーテンコールでちゃんと紹介を受ける。
すごい!さすが天下のウェストエンド!ミュージカルはお高く留まるセレブな趣味ではない。こんなにも開かれているんだ!イギリスの懐の深さに感動してしまった、いい思い出である。
しかしその後も何度も観劇したが、この日のように手話通訳者さんや車椅子が多い劇場は見なかった。やはり作品の特性によるのだろうか?なんて考えていた。
ウェストエンドのRelaxed Performanceとは?
ウェストエンドの公式サイト(Official London Theatre)で、Relaxed Performanceの説明がある。英語のウェブサイトを日本語にザックリ翻訳すると以下のようになる。
同サイトの関連記事にもっと詳しく紹介されているので、抜粋してみよう。
Relaxed Performanceは通常の上演環境よりももっとリラックスした雰囲気でのサポートが必要な人々に対応したもので、学習障害、自閉症、感覚障害をもつ大人や子供があてはまる。
これらの症状をもつ人々は、暗闇や大きな音、自分の慣れない場所にいること、長い時間にわたり静かに座っていなければならないこと等に、威圧感を感じたり不快になったりしてしまう。
方法は劇場によって異なる部分もあるが、様々なニーズのある人にリラックスして観劇してほしいという指針を共有している。この環境を整えるスタッフさんはもちろん、俳優さんも指針をしっかりと理解している。
ミュージカル『マチルダ』で実践されたRelaxed Performanceの例が動画で分かりやすく紹介されている。
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開場の内外に何度出入りしようが問題なし。
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もし音響が大きすぎると感じたら “chill-out area”(休息所)に行き、静かな部屋で舞台をモニターで見ることができる。
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物語の流れを理解するのが難しい人は、ヘッドフォンから流れる音声解説を聞くことができる。
疾患のために物心ついた頃から劇場に一度も行けずに大人になった人が、この日に劇場へ足を運んで「今までで一番素晴らしいショーを見た!他の劇場にも行きたい!」と語っていた。
母親はそのことで、疾患を持つ本人が自信をつける大きなチャンスにつながると語る。
泣けてきちゃうエピソードじゃないか。
Relaxed Performance実践で、本当の誰もが楽しめるミュージカルを
お行儀よく観劇することは当たり前の社会的なマナーだと思っていた。
しゃべったり前の席を蹴ったり、途中で出入りすることは極力避けなければいけない。命懸けで舞台を作る俳優さんもスタッフさんも、観客がマナーよく観劇しなければ仕事しながら不快になるだろう。
それに、周りに迷惑をかける行動をしてはいけないのが基本。自分と同じく観劇している人の快適さもお互いに守らなければ。みんなのマナーで「誰もが楽しめる」空間を作れる。
しかし気づかされた。自分が思っていたその「誰もが」に、様々なニーズのある人々が入っていなかったことに。
自分の介助や特性を心配せず、気軽にリラックスして楽しめる空間を作る大切さは考えたことがなかった。なぜなら、その自由がないと体がもたないお客さんに通常のマナーを要求したら、ミュージカルを楽しむことは不可能だからだ。
確かに幼い頃から観劇していると、音響の大きさにビックリしたことは何度かある。
小学4年生で初めて『キャッツ』を観た時、オーバーチュアの最初の1音の衝撃が激しくてビクッとなったのを今でも覚えている。もちろん驚きはしたが不安はなかったしワクワクが勝って「これが大人のミュージカルか!」なんて感じだったので、呑気なものだ。
でももし、これが感覚障害や自閉症などの人だったら?パニックになってもう二度と劇場に来られない人もいるかもしれない。
それはあんまりにも寂しいじゃないか。ミュージカルはこんなに楽しいのに。
ミュージカルの醍醐味は非日常空間で夢の時間を過ごせることだ。毎日の仕事やら何やらがきつくても、ひととき現実を忘れられる。
物語の世界や圧巻の歌とダンス、豪華な衣裳やセットを楽しむと、また明日から頑張ろうと思える。
なんだか自分もその物語の中にいるような気がするほど、登場人物に感情移入だってできる。
ミュージカルは日常生活で不自由や生きにくさを感じやすい状況にある人にこそ楽しんでほしい空間だ。
だったら、お高く留まるばかりではいけない。世界がこれだけアクセシビリティを進めている中で、劇場関係者も努力しなければ。イギリスというミュージカル先進国で、劇場からあらゆる人へ温かさを届ける試みがなされていることを知って、胸が熱くなった。
『千と千尋の神隠し』で得た学びを日本でも!
『千と千尋の神隠し』ロンドン公演では3回にわたるRelaxed Performanceがあった。
Audio Described Performance(オーディオ機器で物語の解説を聞ける日)
Relaxed Environment Performance(会場の出入り自由、騒音も気にしなくてOKの日)
BSL Performance(BSLはBritish Sign Languageの略で、つまり手話通訳者さんがいる日)
俳優の皆様もその温かい雰囲気が良かったとインスタで語っている。
日本ではまだ、ほとんどできていない。帝国劇場でも、東京芸術劇場でも、どこに行っても聞いたことがない。私の知らない劇場や作品で既にやっているのかと調べたところ…あった。あったぞ!
まずはHospital Theatre Project 2015という団体のページが見つかった。声明文のようだ。制度がカタカナで「リラックス・パフォーマンス」と訳されている。これが定訳になっているようだ。
さらに、東京文化会館で2024年11月に行われたオーケストラのコンサートが、Relaxed Performanceと銘打たれている。スターダンサーズ・バレエ団も2023年に実施した。
始まっているのだ、日本でも。でも残念ながら、調べる限りミュージカルの劇場では後れを取っているようだ。
影響力が強い劇団四季や東宝やホリプロの作品、もしくは『えんとつ町のプペル』あたりを筆頭に、ぜひ一刻も早く取り入れる準備をしてほしい。そうすれば、素晴らしい取り組みがすぐ全国に広がるはずだ。
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