ミュージカル『ウィキッド』原作を読むシリーズ最終回。「悪い魔女エルファバとは何者か」を様々な視点から読み解く。
作者のグレゴリー・マグワイアは、なぜアメリカの大ヒット作品『オズの魔法使い』での悪役にスポットライトを当てたのか?エルファバという名前の由来は?なぜ悪い魔女になったのか?彼女の人生はなんだったのか?
物語は壮大すぎて、あらすじを追うことはとてもできない。しかし、ミュージカルを観る前に知っておけば100倍深く楽しめると思うエルファバのことをご紹介したい。ぜひ最後までお楽しみください!
エルファバが迎える結末は小説とミュージカルで異なる
エルファバが水に溶けるとはどういうことか
最初に小説での結末を書かせてほしい。
エルファバがフィエロとハッピーエンドを迎えるのは、ミュージカルだけのオリジナルの結末。
『オズの魔法使い』で緑色の魔女はドロシーにぶっかけられた水に溶けてしまった。
ミュージカルでは、フリをしただけで隠れていた。そして、処刑される寸前にエルファバの魔法によってカカシに変身し、命をつないだフィエロとともにオズから出て行った。
しかし、エルファバが小説の中で迎えた結末は、『オズの魔法使い』の通りだった。私は震えながらこのシーンを読み、愕然とした。
エルファバは生まれた時からずっと、水に触れることができなかった。雨が降っているときや、沼や池で畑仕事をするときは完全防水。水で体を洗えないので、体を洗うことのできるオイル(石鹸の原料みたいなの?)を塗る。涙を流すと顔を火傷する。
なぜ水がダメなのか。嫌いなのではなく、エルファバにとって水は火と同じ害をもたらす。
小説のあとがき(邦訳版)を書いた児童文学研究家のちばかおり氏によると、水はキリスト教において清めに使われるもの。洗礼や魔女裁判で使われ、魔女は水を嫌うから涙も流さないとされた。
清めの水に触れることのできないエルファバは、悪い魔女の典型的なイメージを受け継いでいる。
なんでこんな変な設定にしたのかなと疑問に思っていたが、大いに納得。悪魔と契約した結果とか、習得した技能と引き換えにとかではなく、魔女の体質に生まれついたのだ。
エルファバが一生で一度も得られなかった「赦し」
エルファバが亡くなるシーンは壮絶だ。ドロシーがエルファバに水をぶっかけたのは、「頭冷やせよ!」みたいな怒りに任せた行動ではなかった。本当は助けようとしたのだった。
ドロシーがアメリカのカンザスからオズの国へやってきたのは、竜巻によって家ごと飛ばされたからだった。その家の下敷きになり、エルファバの妹ネッサローズが亡くなってしまった。
ドロシーはオズの魔法使いから「元の世界に戻りたいなら西の悪い魔女を倒せ」と取引され、エルファバが住む城へやってくる。しかしドロシーは、エルファバを手にかけるつもりなどなかった。代わりに、妹を犠牲にしてしまったことを謝罪し、許しを得たかったのだ。
許してほしいと懸命に叫ぶドロシーを前に、エルファバは気が付いてしまう。
私は生涯で一度も赦してもらったことなんてない。
緑色の肌に生まれてきた。それは自分への何らかの罰だと信じ込む父親は、神父として狂信的なまでに布教活動に没頭した。娘のエルファバは父を哀れに思い、普通の子と同じように父を愛した。でも、愛されることも緑の肌を受け入れてもらえることもなかった。
娘だから育ててはもらえる。でも、私はいつだって父の背負う罰だった。娘は父を愛しても、父にとって緑色の娘は愛する対象ではなかった。
緑色に生まれてきて、ごめんなさい。そんな心の声は届かなかった。
そしてフィエロの妻。妻は夫が亡くなったいきさつを知りたくないと、エルファバを拒絶した。
フィエロが亡くなったのは私のせい。私の隠れ家にいたから、間違えられた。あるいは反政府組織の仲間と思われた。妻のあなたを裏切ったうえ、不幸な目に遭わせてしまった。ごめんなさい。そう言いたかったのに。
自分が選んだことも、大切な人たちも、みんな悪い方へ向かわせてしまう。
誰かに謝り続けるように生きてきた。なのに、届いたことは一度もない。赦してもらったことなど一度もない。
赦されたことのない私がどうして人を赦すことができる。
エルファバはうろたえるあまり身をよじった。そのとき、松明代わりにしていた箒の炎がドレスに燃え移ってしまった。ドロシーは咄嗟に、そばにあった雨水を受けるバケツをエルファバに向かってひっくり返す。
足元には炎、上半身には水。エルファバは、そのどちらにも焼かれる。まるで悪魔が地獄へ落ちて罰を受けたような絵面だった。
ひどい。懸命に生きたエルファバに、この結末は残酷すぎる。悪い人なんかじゃないのに、なぜ悪を体中に集めて消えなければならないのか。
水を被ってからすべてが闇に包まれるまでのほんの一瞬、エルファバの目には懐かしい人々の顔が浮かび、最後に「贈り物の女神」が見えた。その女神はエルファバを抱いて何か語りかけたが、声を聞くことはできなかった。
何を語りかけてくれたのか。何を聞けなかったのか。何を聞きたかったのか。私だったらこう答える。
「ええ、赦しますとも。あなたはよく頑張った。ちゃんと知っていますよ」
命が終わる瞬間にせめて。赦してほしかった人々の代わりに、自分の欲しかったものを与えてくれる女神がいるなら、許しの言葉が聞きたかったのではないだろうか。
エルファバはなぜ悪い魔女となったのか
エルファバの結末を予言した象の姫と、エルファバ誕生を語った小人
エルファバがフィエロの妻たちが住む城に来る前、旅の途中で重要な出会いがある。人格を持つ象の姫が、エルファバに啓示を下すのだ。
象の姫はエルファバに「ドラゴンの娘よ」と呼びかける。そして「世の中が大きくて危険な変化をするときに自分のままでい続けようと思うと、その変化の犠牲になる」「しかし助かろうと選んだ道が仇になり、命を落とすこともある」と告げる。
でも、そのときは助けてあげると。「自分の人生は、運命は、自分のもの。他の誰にも決められない」と。結末では、助けを呼んだが間に合わなかった。エルファバが象の姫の言葉を思い出すシーンもなかった。しかし、小説の読者にはそれがエルファバの結末を予言していたと分かる。
ドラゴン時計に見守られて生まれたエルファバ。でも、本当にそれだけでドラゴンの娘と呼ばれるだろうか。
ドロシーと対面する直前だった。エルファバはドラゴン時計のある芝居小屋へたまたま行き着いた。そこで謎めいた小人に導かれ、自分がどうやって生まれたかを芝居仕立てで見せられる。そこで知ったのは、2つのルーツだった。
まず1つ目のルーツは、エルファバの名前はオズの国の神話に出てくる「滝の聖女アルファバ」にちなむが、聖アルファバは名前の由来どころか自分の前世であること。
小説を最後まで読めば納得だが、病人の世話をして人々に尽くし、滝の裏に隠れたまま姿を消した聖アルファバと、修道院で病人の世話を得意とし、ドロシーのほか誰にも目撃されず落命したエルファバは、互いにそっくりなのだ。
2つ目のルーツは、自分がオズの魔法使いの娘であること。
エルファバはなぜ緑色か。直接の原因はオズの魔法使いが母に飲ませた緑色の酒だが、そもそもエルファバはオズの国の中と外、2つの異世界を両方そなえた「新種」の体で、「いびつ」な存在と小人は語った。
だから、エルファバは人づきあいが下手だった。好きなもの、心惹かれるものはいつだって、歪んだものや自然のもの。子供の頃は壊れたガラスで遊び、大人になっても山々の風景と動物たちに癒された。
だからって悪を全身に背負う存在でなければいけなかったのか。それは違う。悪は自然の理ではない。悪は人が作るものだ。エルファバは緑色の肌という目立つ存在ゆえに、人の生み出す悪をなすりつけられた。
「悪は人が作る」というメッセージは、ミュージカルなら簡単に分かる。しかし小説の中では、エルファバの人生と存在の意味を合わせて知ることで、やっと実感できる。
悪い魔女エルファバの由来
エルファバが「魔女」と名乗り始めたのは成り行きだった。革命組織にいたときに通信教育で魔法の訓練を受け、少しは魔術が使えた(復習すると、シズ大学にも魔術専攻があるくらい魔術はオズで普通)。
おなじみの箒で空を飛ぶ技術も、いきなりできたわけではなく練習が必要だった。
最初のきっかけはフィエロが隠れ家にやってきた時、飼っていた猫を見て「君の使い魔か?」と言ったこと。「なら私はそのうち魔女って呼ばれるかもね」なんて冗談を言い合った。
その後、象の姫に「魔女として生きろ」と言われた。
しかしその直後、エルファバは初めて魔法の力を見せる。水の上を渡って向こう岸まで行きたいと望んだとき、足元の水が凍った。呪文などかけていないのに。
そしてフィエロの妻とその家族に、自分の本名を最初に名乗らなかったから「魔女おばさん」「魔女のおばさま」と呼ばれるようになった。緑色の肌で笑顔一つ見せなかったから、好かれてはいなかったのだ。フィエロの家がある地域では、魔女は忌み嫌われる伝説だったらしい。
しかしエルファバはその呼び名がそれほど嫌いではなかった。どうでもよかったと言ってもいいが、支配者であるオズの魔法使いと対立するうえで魔女を名乗るのは、むしろふさわしいと思っていたとも読み取れる。
「悪い」という形容詞がついたのは、オズの魔法使いがドロシーと謁見した時にそう呼んだせいだった。エルファバが亡くなった後、悪い魔女だったという言い伝えだけが残ってしまった。
魔女は、キリスト教では魔女裁判があるほど悪い存在として扱われる。同じく魔術を使うが、グリンダはドロシーをオズの魔法使いのもとに向かわせ、元の世界に返してやったので、例外的に「善い魔女」と呼ばれただけだ。
なぜ肌の色が緑だったかは触れられていないが、キリスト教に基づくならエメラルド色と考えられる。エメラルドは、堕天使ルシファーの冠についている宝石。地獄の王の象徴である。
全身に悪を背負って生き、悪もすべて命と一緒に水で流してしまった。それがエルファバだった。エルファバへ花束の代わりに、ちばさんの後書きから印象的な言葉を贈りたい。
傷つきやすく痛々しく、理解されることを拒み、そして強く賢く、同時に愚かだったエルファバ。善と悪の概念を揺さぶり続ける存在として、悪い魔女と呼ばれることを恐れないエルファバの強烈な個性。果たして『ウィキッド』はエルファバの悲劇を描いた作品でしょうか、それとも自分の意思を貫いた彼女の勝利の物語だったのでしょうか。
(『ウィキッド』<下>、2024年発行、P. 391。)
作者グレゴリー・マグワイアはなぜ『ウィキッド』を書いたか
小説『ウィキッド』が書かれたのは1999年。湾岸戦争にショックを受けた作者のマグワイアは、人間が作り出す悪を真剣に考えるようになったという。
それまでは児童文学を書いていたが、『ウィキッド』は初めての大人向けの小説となった。子供のころから親しんだ『オズの魔法使い』の悪い魔女に自分の危機感を投影し、これほどまでに鮮やかに描き出した。
アイルランド移民のアメリカ人で、厳格なカトリック教徒の家庭で育ったマグワイア。湾岸戦争だけでなく、アメリカの作る正義と悪には日頃から疑問を抱いていたようだ。なぜなら移民は差別の対象だから(過去形にしないよ)。
なんと、オズの魔法使いもオズに来る前、アメリカに住むアイルランド移民だった。つまり、マグワイアは自分をオズの魔法使いにそのままネタとして仕込んだ。
エルファバが不思議な鏡でオズの魔法使いの過去を目撃するシーンがある。「アイルランド人お断り」と書かれた店からうなだれて出てくる魔法使いを見る。
自由の国アメリカで落ちこぼれ、命を絶とうとしたが失敗したオズの魔法使いが、気球に乗ってオズに到着し独裁者となったのだった。
エルファバはオズの住人なので「なんのこっちゃ」だが、読者の私達には「あーっ!!」だ。
エルファバと関係ないように見えるが、どちらも自分がいる場所で「異質な存在」「差別の対象」。実は似た者同士の父娘なのに、排除すべき者同士なんて悲しすぎる。
最後に
小説は上下巻合わせて850ページ弱。理屈を延々と語る場面も多く、読破は骨が折れた。しかし、作者が社会情勢から激しく触発され、世界への危機感を緑の肌の魔女に託したことがよく分かった。しかも、続編も人気すぎて2024年現在でまだ終わっていないという。
エルファバが投げかける問いは、まだ答えが出ていない。
原作小説はミュージカルよりもだいぶ重苦しい。私は読み終えた時、ショックすぎてしばらく寝転がり心を落ち着けなければいけなかった。
この壮大な物語をかいつまみ、分かりやすくアレンジし、2時間半のミュージカルにギュッとまとめ上げ、しかもハッピーエンドに変えた人にも拍手を送りたい。
コメント