2025年1月に日本語版と英語版の両方で上演される、ケンブリッジ大学発のミュージカル「SIX」。
前回の記事では作品の成立と歴史の概要をご紹介しましたが、この記事は予習第2弾として、ヘンリー8世の1人目の王妃キャサリン・オブ・アラゴンを掘り下げます。
ソロ曲に翻訳をつけ、その内容に関わりのある事件およびキャサリンの人生全体を追うことで見える人物像とは?
是非最後までお楽しみください!
キャサリン・オブ・アラゴンのソロ曲 No Way【翻訳】
キャサリン:
ふざけるな
あんたねぇ 反論できないはず
私はずっとあんたの味方だった
怒ったこともない
あんたが何度も嘘をついたと知っていても
鉄の掟を守ってた
冷静でいると
そうだ
アンサンブル:
彼女は冷静でいなきゃならなかったんだよ
キャサリン:
たとえあんたが若く可愛い女を追い回して
自分だけ楽しんでいても
たとえあんたの息子が生まれて
その子の母親に結婚指輪が無くても
何を聞いても
なんにも言わなかった そうでしょ
アンサンブル:
彼女は何も言わなかったんだよ
キャサリン:
私はあんたのxxxに耐えてた
毎日のようにね
今度はあんたが黙る番
私の話を聞きなさい
私が狂ったと思うでしょうね
私と離婚したいでしょうね
ふざけるな
ちょっとくらい考えなよ
前言撤回を許してあげる
ふざけるな
ふざけるな
聖書に書いてあるって?あたしが狂ってると
私があんたの兄嫁だったから
レビ記まで引っぱって嘆いたね
私には一生 子供がいないって
あのさ 私がメアリーを生んだとき
そこにいたよね あんたパパよね お~よしよし
アンサンブル:
娘たちはすぐ忘れられちゃう
キャサリン:
ホントあんたってしょーもない
私が世間知らずだと思ってるみたいだけど
バカにされる筋合いなんてない
離婚なんてしない
私が狂ったと思うでしょうね
私と離婚したいでしょうね
ふざけるな
私を修道院に送ったら
面白くなると思った?冗談じゃない
ふざけるな
あんたは私を跪かせた
教えてよ 何か悪いことした?
慎ましく 忠実にふるまうよう努めた
プライドをかなぐり捨てて
たった一つでも 私があんたを傷つけたことがある?
それを説明できるなら 去ってやるわ
ないって?
なんにも言えないみたいね
私は行かない
ふざけるな
私が狂ったと思うでしょうね
私と離婚したいでしょうね
ふざけるな
あんたが私を妻にしたんだ
だから私はずっと王妃
ふざけるな
ふざけるな
キャサリン・オブ・アラゴンの人生【解説】
苦笑いしながら「奥様、お茶でもいかが?」と言いたくなってしまうような内容だ。なぜこんなにブチギレているのか。いくつか解説をしなければキャサリンの人生の全貌は掴めない。
アラゴン王国の子女としてイングランド王太子と結婚
キャサリンの父はアラゴン王フェルナンド2世、母はカスティーリャ女王イザベル1世。
この夫婦の名前を聞いてピンと来る人は高校で世界史をやった人だろう。スペイン王国を統一し、イベリア半島に進出していたイスラム勢力と戦って領土を回復させた2人だ。「レコンキスタ(領土回復)が完了した」というやつ。
ちなみに姉はフアナ女王。こちらも歴史好きには有名な女性。
つまりキャサリンは父方のアラゴンという姓を受け継いだ、スペインの王女。スペインとイングランドの絆を深めて外交対策とするため、イングランド王ヘンリー7世の王太子、アーサーと結婚した。
2度目の結婚と『レビ記』
そう、キャサリン・オブ・アラゴンの最初の結婚相手はヘンリー8世の兄、アーサーだった。しかし結婚して半年もたたないうちに、アーサーは流行り病で亡くなってしまう。
この結婚は重要な外交手段でもあったため「じゃあ弟のヘンリーと結婚すれば?」となってしまったのだ。それに莫大な持参金の返金もイングランドとしては勿体ない。
ただ、そこで問題があった。聖書の『レビ記』に「自分の兄弟と肉体的な関係を持った人と結婚してはならない」と書いてあったからだ。つまり兄嫁とは基本、結婚できない。しかし結婚期間があまりにも短く、キャサリンとアーサーとの間に営みがあったか不明だった。
ここで初めて『レビ記』が出てくる。これが後々、歌詞にある「レビ記まで引っぱって」に効いてくる。
キャサリン自身が自分にそういうのがあったかどうか証言したとは、一言も書かれていない。女性が自分で夫婦関係を主張することは、まあできる。主張しなければいけない場合もある。自分で言っちゃえばそれが全てなのに、なぜ言わなかったのか。
外交と幸せの両立
でももし、敬虔なカトリックの女性で恥ずかしい言葉を一切口にできなかったら?もし「あった」と言えば今までの外交がすべて水の泡になるが、「なかった」と言えばすべて丸く収まるとしたら?でも嘘をつけなかったとしたら?
外交手段としての自分の立場を考えると何も言えない。でも、ここで寡婦として終わるの?ちゃんと結婚したい。女性として幸せになりたい。そう願うのも当たり前。キャサリンの苦しさ、どれほどのものだっただろう。
再婚問題がズルズルと長引く中、ヘンリー7世の王妃が亡くなった。なんとそこで、ヘンリー7世は自分の後妻にキャサリンを望んだ。それはあんまり!とのことで、若いキャサリンと下心丸出しのオジジとの婚姻はせずにすんだ。
しかしヘンリー7世もローマ教皇も、やっぱり『レビ記』を理由にキャサリンと王太子ヘンリーとの結婚をなかなか許可しなかった。待ちぼうけしている間、スペイン王国の代替わりや姉フアナの精神疾患の発症で、なんとキャサリンがイングランド大使として仕事するはめに。
やっとヘンリー7世が崩御すると、国王となったヘンリー8世は待ちきれんとばかりにキャサリンと結婚式を挙げた。
このときは愛し合っていたのだ。信じがたいことに、キャサリンはアーサーを失ってからヘンリー8世と結婚するまで8年も待った。キャサリンの周りの人たちは外交や聖書の話ばかり。望みはちっとも聞いてもらえない。自分の力だけでこの結婚をどうにかすることはできなかった。
不安で孤独な心に寄り添ってくれたのは唯一、ヘンリー8世だった。新婚生活は幸せな時間だった。
ヘンリー8世には妻以外にも複数の愛人が!
愛する人と結婚できたのは良かったが、残念ながらキャサリンは死産と流産を何度も繰り返し、生まれても生後何日かで赤ちゃんが亡くなってしまうこともあった。
するとヘンリー8世は女遊びをするようになる。「あんたが何度も嘘をついたと知っていても」じっと耐えていたという歌の通りだ。後々の王妃となるアン・ブーリンやキャサリン・ハワードがすでにこの時からヘンリーの相手だった。
しかも愛人の1人エリザベス・ブラントが男の子を生む。「たとえあんたの息子が生まれて その子の母親に結婚指輪が無くても」のくだりだ。
息子はヘンリー・フィッツロイという名前で残っている。しかしこの親子は王家の権力闘争に加わらず、宮廷を去った。息子は初代リッチモンドおよびサマセット公爵になったが、不幸にも10代で子供もないまま亡くなった。
『レビ記』を理由にした離婚
ヘンリー8世は切実に思っていた。跡継ぎが女王だとロクなことにならない、庶子ではない息子が欲しいと。キャサリンとの間に生まれた健康な子供はメアリーただ一人であったことから、いよいよ離婚に踏み切る。
離婚を成立させられる手段は2つ。教皇の結婚許可が間違っていたか、『レビ記』に基づいて結婚が無効とされるか。
キャサリンの実家やら外交的な圧力やらで教皇からの結婚取り消しは望めなかった。そこでヘンリー8世はカトリックとの決別と、2人目の王妃アン・ブーリンとの結婚を虎視眈々と進め、『レビ記』を理由としてキャサリンとの結婚の無効を宣言した。
キャサリンと結婚した時は「そんなのカンケーねー!」と言った『レビ記』を、今度は離婚に利用したのだ。兄嫁との結婚なんて、そもそも呪われているのだと。
当時はまだカトリックから完全に独立できていなかったため、離婚裁判は教皇の下で行われた。キャサリンはやっと、アーサー王太子との夫婦関係を証言。『レビ記』を理由とする離婚は、これでなくなった。
しかし離婚が成立しないままヘンリー8世はキャサリンを宮廷から追い出し、別居を開始。そしてイングランド国教会を発足し、国王である自分がキリスト教でも最高の権威なのだからカトリックの決定は関係ないよね~と、離婚を押し通してしまう。
このとき、キャサリンとの結婚自体が無効とされたので彼女は王妃の名前を剥奪され、娘メアリーは庶子の烙印を押された。親子は引き離され、キャサリンは軟禁状態に。亡くなるまで離婚は絶対に認めず、署名にも「イングランド王妃キャサリン」を使い続けた。
隠遁生活を送りながらも、イングランド国教会の制度をめぐって国内情勢が不安定になっていると知ると外交手段に出ようとしたり、ヘンリー8世に手紙を送ったりと努力を続けたが、50歳で病没した。
王妃としての有能さ
一方、キャサリンは「仕事がデキる王妃」だった。
ヘンリー8世がフランスに遠征している間、摂政として国内を統治していた時のこと。敵国フランスと手を組んでいたスコットランドが北から攻めてきたが、反撃してスコットランド王を戦死させる。そこでスコットランドには幼い王を擁立し、摂政としてヘンリー8世の姉を派遣。
スコットランドの権力は実質、イングランドの手に渡ったということである。キャサリンはこの功績により一躍国民の人気者になった。
さらに、「魔のメーデー事件」。外国人を排斥しようとした暴動で数百人が逮捕され、全員が処刑される予定だったが、キャサリンの説得により極刑は少数のリーダーたちだけで済んだ。暴動での犠牲となった外国人に、故国スペインの人も多かったにもかかわらず、だ。
彼女の懐の大きさというか、怒りや恐怖の政治よりも慈悲を、という政治に長けていたことも伺える。
文化人としては学問を奨励。エラスムスやトマス・モアとも交流があり、ぶっちゃけヘンリー8世よりも王妃の方が教養があると喜ばれた。キャサリンの支援により名を残すことができた学者もいる。娘メアリーも含め、女子教育にも力を入れた。
離婚し、隠遁生活を送っている間も地元の人々と交流し、親しまれた。人々には最後まで「王妃」と呼ばれ、葬式は国王に禁じられたにもかかわらず、地元の人々の手によって手厚く葬られた。
最後に
ヘンリー8世を中心軸として王妃たちを語るべからず。このミュージカルの目的を念頭に置いてキャサリンの人生を追ってきました。こうして見ると、キャサリンの人生は1本の作品になってもよいくらい濃く、彼女の仕事ぶりにもっとスポットを当ててみたいと思えてきます。
次回はアン・ブーリンの人生を紐解きます。乞うご期待!
コメント