ミュージカル俳優&シンガーソングライター・石井一孝さんの人物像を語るシリーズ第2弾。本記事では『アラジン』のアラジン、『レ・ミゼラブル』の大役マリウスで一躍ミュージカル界のプリンスに躍り出た20代後半から、40歳頃までを追う。
歌手になる夢はどうやって叶えたのか?役者を続けようと決心したきっかけは?人生最大の難役は?ぜひ最後までお読みいただき、今日まで続く挑戦の日々を紐解いていきましょう。
「俳優・石井一孝」としてのキャリアと歌手になる夢の狭間で
葛藤の20代~俳優は素晴らしい。でもやっぱり、歌手になりたい!~
『レ・ミゼラブル』のマリウス役が大当たりして以来、ファンクラブもでき他の作品でも次々に大役を務め、順調な若手時代を過ごしているかに見えた。
しかし、演技の勉強はミス・サイゴンスクールが最初。マリウスも歌ばかり。まともに台詞をしゃべったのはその後の役が初めて。
大地真央さん主演の『アイリーン』では「右足と右手が同時に出てしまうブリキのおもちゃのようだった俺を大地真央さんが育ててくれた」と語るほど、演技はぎこちなかった。「歌はいいけど芝居はちょっと」という評価もあり、落ち込むこともあったよう。
それに、まだ叶えていない夢があった。12歳のころから描いていた、歌手になる夢。ミュージカルの歌は素晴らしく、共演者とともに歌うのも楽しかった。しかし自分で書いて自分で歌う曲をどうしても世に出したい。俳優としての仕事はいわば、プランBのままだった。
そんな中で転機となったのは、大地真央さんのコンサートツアーに参加した時にバンドメンバーだった、ベーシストの木村和夫さんとの出会い。
石井さんは「俳優よりも本当は歌手になりたい。どうしたらよいか」「せっかく作った曲のデモテープを作りたい」と木村さんに相談し、曲を聴いていただいた。すると「いい曲ばかりだから、いっそ自主制作でCDを出したら?」とアドバイスされたのだ。
思ってもみなかった自主制作という選択肢。芸能事務所やレコード会社から売り出してもらうのではなく、自費で自分の作りたいものを作るのか。なるほど!と、気合十分に行動を開始。
木村さんの伝手でミュージシャンも集まり、1999年、1st CD「Heart & Soul Cafe」をリリース。コンサートを開催し、VHSの販売も実現(現在はDVDで販売しています)。
シンガーソングライターになるという夢を遂に叶えた。このとき29歳。
根を下ろした30代~俺は一生、俳優をやる~
さらに2002年には藤野浩一氏を共同プロデューサーに迎え、2nd CD「Doors to Break Free」をリリース。俳優としても歌手としても着々と実績を積んでいきつつ、迎えた30代半ば。
「もう俳優としては後に引けない。このまま俳優と歌手の二足の草鞋を履き続けるべきか。どうしよう」と思う年齢に差し掛かったころ、世紀の名役が来た。
『レ・ミゼラブル』のジャン・ヴァルジャン。
当時所属していた事務所の意向でジャベールのオーディションを受けたところ、選考用の映像を見たジョン・ケアードがまた、石井さんを導いた。「この眼差し。これはジャベールじゃない。彼はヴァルジャンだ」と。
2003年当時、史上最年少の35歳でヴァルジャンとなり、ライヴCDにも収録された。すでに絶版になってしまったが、入手した人は聞いているはずだ。ラストシーンで明らかに泣いている歌声を。そこから2006年までの3年にわたりヴァルジャンを演じた。
この役が石井さんの人生を決めた。俳優という仕事の価値を、本当に自分の心にスッと落とし込んだのか。心から面白いと思えたのか。本当のところはご本人にしか分からないが、ヴァルジャンを演じたことを通して「俺は一生役者をやるんだ」と決めたとのこと。
メジャーデビューではないにしろシンガーソングライターになる夢は叶えた。今後も成長を続けられる。でもここで俳優をやめてしまったら、なんて寂しい人生なんだ…と考えたのかも知れない。
「ミュージカル俳優でシンガー・ソングライター」を引っ提げて
二足の草鞋だからこそできる仕事
その決意は音楽制作にも表れた。今まで自身でリリースするCDにはオリジナル曲と、全く別物のようなアレンジを施したウェストサイドストーリー』の「Maria」しか入れてこなかった。しかし2004年に初めて英語版のミュージカル曲を中心とする3rd CD「In the Scent of Love」をリリース。
憧れの『ジキルとハイド』から変身の場面「First Transformation」と「Alive!」(実験開始の緊迫感から始まり、鬼気迫るハイドへの変身が恐ろしすぎる。世界がひっくり返るほどの衝撃が来る)、
『ジーザス・クライスト・スーパースター』からキリストの命の叫び「Gethemane」(体のどこからこの声が出るの!?というくらい強烈なファルセット)
などなど、息を呑むような絶唱が刻まれている。
現在の石井さんはミュージカル俳優とシンガーソングライター、どちらの要素を抜いても語ることができない。事実、シンガーソングライターと俳優の両方をやってきたからこそ、できている仕事が山ほどある。
それは音楽業界のビジネスも作曲方法もコード進行も知りながら、ミュージカル曲と演技にも親しんでいるから。一方のジャンルの譜面を、もう一方のジャンルの理論を応用して読み解くことができるからだ。
そうしてポップスやロックやミュージカル曲の相違点を発見し、楽しみ、自身のアーティスト活動で存分に生かしている。
2024年5月現在まで計10枚以上のCDやDVDを発表しているが、どれもこれも曲が多種多様。様々なテーマでライヴを年に何本も開催。
オリジナル曲の制作だけでなく洋楽や歌謡曲を大胆にアレンジしたカバー、他の俳優への楽曲提供、カルチャーセンターや専門学校での講師、遂にはオリジナルミュージカルの制作。
演出ができるミュージカル俳優はたくさんいるが、作曲ができるミュージカル俳優はほとんどいない。唯一無二の個性である。
最初に恋したミュージカル曲を歌う
ヴァルジャンを演じた2004年、その直後に『ミス・サイゴン』再演で主演クリスを勝ち取った。
思い出深いデビュー作『ミス・サイゴン』。デビュー前、石井さんは三越のお中元とお歳暮の配達をするアルバイトをしており、作品を勉強するため配達の車中でブロードウェイ版CDを聞いていた。
そのとき初めて恋したミュージカル曲が、クリスの歌う「Why God, Why?」だった。なんて凄い曲なんだ、いつか歌いたいと。デビュー12年にして、歌手としてではなく俳優として思い描いていた夢が叶った。
クリスと同じ戦争を経験したわけではない。しかしクリスが見たこと、考えたことをこれでもかと掘り下げた。
ベトナムの悲惨な景色。
天使のようなキムに抱いた愛。
サイゴン陥落からキムに再会するまでの3年。
キムを必死に探した日々。
心を閉ざした廃人のような年月。
妻との出会いと再生。
まさにクリスの人生を「生きる」ように思い描き、体の中に宿した。
「Why God, Why?」は2013年リリースのCD『Treasures in my life』の1曲目に収録されている。今にも涙をこぼしそうな、つらい戦争の経験が滲むような歌声。
2022年に開催した30周年記念コンサート『Musical Treasures』では、共演した岡幸二郎さん(ジョン役)とシルビア・グラブさん(エレン役)とともにホテルのシーン「Confrontation」を再現。いたたまれない記憶と胸を掻きむしるような苦しみを爆発させる歌唱だった。DVDにしっかりと残されているので必見。
演劇賞につながる難役
30代後半、おそらくそれまでの人生で最も難しい役に挑む。『マイ・フェア・レディ』ヒギンズ教授と『蜘蛛女のキス』モリーナだ。
ヒギンズ教授はまあ、成熟したオッサンだ。日本で言えば明治時代くらいのイギリス中上流階級だから、女性への差別意識が半端ない。偉そうでわがままで、でも品性のある学者の役。
クリスを演じた時よりも女性からの冷たい視線を浴びたかもしれない。かつ、膨大で小難しい台詞。しかし実際の石井さんと中身が似ているとか似ていないとか?
逆にモリーナは実際の石井さんから一番遠い人物だった。モリーナは女性になりたい男性。設定は1970年代、南米のとある国の物語なので、今度は酷い差別を受ける側の役。
そして素の石井さんはというと、当たり前だが「男は男らしく、女は女らしく」と育てられた昭和な家庭の出身。ゲイのモリーナが使う女言葉を自分がしゃべることに最初は虫唾が走り、これまた膨大な台詞量なのに役作りに身が入らず、稽古後にはボーリングで何時間もストレス発散したとのこと。
それでも何日か後、やっとスイッチが入る。モリーナが心から愛することになるヴァレンティン役の浦井健治さんが、石井さんに女の子用のイチゴのパッチン留めをプレゼントしてくれたことだった。
浦井さんは『マイ・フェア・レディ』でも石井さんと共演しており、フレディ役だった。全国ツアーで一緒にCD屋さん巡りをしたこともあったそう。
その信頼する後輩さんが「がんばれ」と言ってくれたおかげで、「モリーナになりたい!!」と猛烈に炎を燃やし始めた。
この2作品は石井さんが40代に突入して間もなく、立て続けに再演。そこで人生初めての演劇賞を勝ち取ることになる。ここからは、こちらのシリーズ第3弾へどうぞ!
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