「next to normal」【歌詞の翻訳と分析】第1幕の目玉曲

2024年12月から上演されるミュージカル『next to normal』歌詞を翻訳して予習するシリーズ第2弾。

この記事では第1幕の中から目玉となる曲を厳選。歌詞に日本語訳をつけ、1曲ずつ内容を分析していきます。

日本語の訳詞ですでに作品をご覧になった方にも、これから初めて観劇する方にも、翻訳に触れることで理解を深めるお力添えになれれば幸いです。

是非最後までお楽しみください。

ダイアナが歌う曲は薬物療法のジレンマと鬱の苦しみ

I Miss the Mountains【翻訳】

ダイアナ:
もっと高く羽ばたいていた
自由に走る無敵の少女 それが私だった
彼女が見える 炎を感じる
どこにもいなくなってしまった私を
見つけてほしい

空っぽで安定した歳月が
私の涙を乾かしてしまったみたい
彼女は自由に走っているのに
もう過去の日々だったのね

でも 山々が恋しい
目もくらむような高ぶりが恋しい
激しい感情に突き動かされた日々
暗澹たる夜
山々が恋しい
高ぶりと落ち込みが恋しい
登っては降りて
強い風が吹いて
雪に苦しめられ
雨でずぶ濡れになって
山々が恋しい
痛みが恋しい

山は私を狂わせる
ここは安全で静か
私の心は霞んでいて
地に足がついている
すべてのバランスが取れている
平静さも保てている
すべてが完璧
現実などない
現実などない

でも山々が恋しい
低い場所を登って
荒野を歩き回っていた
澄んだ空気の中 ナイフで自分自身を切るように
時間を過ごしてきた
山々が恋しい
そうよ 山々が恋しい
人生が恋しい
私の人生が恋しい

歌詞の分析

この曲は、何週間にもわたる薬物療法によって感情が麻痺してしまったダイアナが無表情で歌う歌。

双極性障害は気分が高ぶっている時と沈んでいる時の差が極端で、コントロールが効かない。それを和らげるだけならまだしも、薬が強すぎて何も感じなくなってしまったのだ。

曲のタイトルになっている “Mountains” は意訳すれば「感情の起伏」となるだろう。しかし、ならなぜ “Feelings” というタイトルではないのかを考慮し、文字のまま「山々」にしてみた。そうすれば「登っては降りて」「雪」「雨」「荒野」といった比喩表現も、イメージがスッと入ってくる。

ハイな時と鬱の時があるのは辛かった。薬で感情が麻痺した今は、ハイでもなく鬱でもなく、ともすれば理性がしっかり働いている。感情に突き動かされない分、判断力もいいかも知れない。

でも、何をしても何も感じないより、よほど良かった。少なくとも生きていると思えたのだ。幸せな気分の時はもちろんいいが、痛みさえも、感じないよりは感じる方が尊いと気づいたのだ。だから「人生が恋しい」とまで思った末、薬をゴミ箱に捨ててしまう。

感情がある自分が「自由に走る少女」だったと表現するのが痛々しい。今はただボーっとして、何も面白くない生活が目に浮かぶよう。

薬に頼り、薬漬けになって「感じること」を捨ててしまうことがいかに恐ろしいか、ハッとさせられる歌だ。

You Don’t Know【翻訳】

ダイアナ:
本当に分かるの?
何が分かるというの?

ダン:
傷ついたんだろ?僕もそうだ

ダイアナ:
朝起きて頭を上げる手助けが必要なことがある?
お悔やみ記事を読んで死んだ人に嫉妬することがある?
私は崖の上に立って いつ飛び降りるか分からずに生きているようなもの
分かるの?生きながら死んでいるのがどんなものか

世界の色が消えて白と灰色と黒になる
明日に怯えているのに 振り返れば死んでしまう
分からないでしょ
分かるわけないでしょ
あなたも傷ついていると言ったけれど そんなはずない
分からないでしょ
心の奥底に留まっているのよ 解放しろと言うけれど 分からないでしょ
感情が溢れて叫んでも 声なんて出ない
落ちていくような気がするのに ちっとも地面につかない
絶え間なく襲いかかってくるの 毎日毎日
分からないでしょ そんな生活がどんなものか
難民のように 逃亡犯のように 永遠に逃げ続ける
追いつかれれば殺される でも何の罪か分からない

歌詞の分析

この曲はすごくハラハラする。ダイアナとダン、ナタリー、そしてナタリーの彼氏になったヘンリーが一緒にディナーをするのだが、ダイアナはゲイブの誕生日と言ってケーキを持ってくる。

「お兄さんがいたの?」と訊くヘンリーに「いないよ。私が生まれる前に死んだ」とナタリーは答え、ダイアナは混乱。ダンが「彼はいないんだよ。赤ちゃんの時に死んだだろ?」とダイアナに言って聞かせる。

ナタリーはあまりの恥ずかしさに飛び出し、ダイアナはダンに怒りをぶつける。それがこの歌。

つらい。ダイアナは心にこんな爆弾を抱えている。朝起きたとき、顔をあげて生きようと思えない。死にたいのに死にたくない。一歩足を前に出せばすべて終わる場所にいつまでも立っている。

「分かるわけないでしょ」…知りたくても、寄り添いたくても、当事者でなければ分からないのだ。悲しみがただの悲しみではなく、日常に支障が出る重い症状になってしまった人の気持ちを、症状が出ていない人は絶対に理解できない。

でも、こんなことを言われてしまう夫のダンだって辛い。誰が毎週病院に送っているというのだ。誰が一番近くで辛抱強く支えているというのだ。でも、こうやって爆発してしまうと黙って聞いてあげるしかない。理屈を言い聞かせることなんてできない。

夫婦のどちらも辛いし、恋人にいちばん見られたくなかった両親の秘密を見られてしまったナタリーの「穴があったら入りたい」感覚も、この曲から見て取れる。いたたまれない。

ナタリーは生きているのに存在しないがゲイブは生きていないのに誰よりも生き生き

Superboy and the Invisible Girl【翻訳】

ナタリー:
スーパーボーイと見えない少女
鋼鉄の息子と空気の娘
彼はヒーロー、恋人、王子様
私はそこにいない

スーパーボーイと見えない少女
子供があるべき姿
彼は不死身 永遠に生きる
そこになぜか割り込んだ私

飛べればいいのに
魔法みたいに現れたり消えたり
飛べればいいのに
ここから遠くに飛んでいきたい

スーパーボーイと見えない少女
ママが現れてほしいのは彼
彼はママのヒーロー 永遠にママの息子
彼はいない
ここにいるのは私

ダイアナ:
そんなことないって分かるでしょ
あなたは私達の誇りで喜び 完璧な計画
私はあなたが大好きって知ってるでしょ
できる限りあなたを愛してるわ

ナタリー:
見えない少女を見てよ
ここにいる はっきり見える
近くで見てよ 消えてしまう前に

ナタリーとゲイブ:
スーパーボーイと見えない少女
鋼鉄の息子と空気の娘
彼はヒーロー、恋人、王子様
私はそこにいない
私はそこにいない

歌詞の分析

「スーパーボーイ」ってどう日本を当てていいか本当に分からない(泣)。

「スーパーマン」とか「スーパーヒーロー」とか普通に言うので、カタカナを当てる方がよいかと思う。思い描ける像としては「超越的な存在になった少年」「スーパーマンのような息子」「ヒーロー息子」。このあたりか。いずれも色気がなくって仕方ないので翻訳としては却下。

ほか、人称(Iやyou、sheなど)はそのままではなく、誰のことを指すか明確にしてみた。たとえば「私はそこにいない」は、英語ではsheになっている。しかし彼女というよりナタリー自身を指すので「私」とした。

顔も知らない兄。自分が生まれる前からもうこの世にいない兄。その兄が母の中で生きていて、ずっと支配されている。母にとって兄の大切さと比べれば、私はいないのと同じ。私が生まれた時、母は既に双極性障害の症状が出ていたのだから。

そして私の存在は、母を治癒することはなかった。これからも永遠に、私は母を兄から解放できないし、母を私の方に振り向かせることもできない。

「目に見えない少女」という言葉から、「いなくなった人より目の前に存在する私を見てよ!あたしは透明人間なの!?」という悲痛な叫びが分かる。ティーンの多感な時期なのだから尚更だ。

それに対し母は「できる限り愛する」だって。愛するのって、「できる限り」することなんだろうか。湧きあがってくるものではなく義務なのだろうか。ズキッと心を痛めつける言葉だ。

結末を知らない状態だとこのシーンでナタリーがとても心配になる。ティーンの時期に母との確執を解消しなければ、彼女の心の成長はここで止まってしまう。30歳くらいになってもまだティーンのような甘えや繊細さが残るかもしれない。

ナタリーをなんとかできる人がいてほしい。そう思って手に汗握ってしまう曲だ。

I’m Alive【翻訳】

ゲイブ:
僕はママが望む通りの姿
僕はママのいちばん恐れるもの 僕の中に見えるだろ
近くに来て
近くに来て

僕は思い出なんかじゃない 考えてる以上のものだよ
僕は神秘
知っているだろ
見せてよ
ただの幽霊ならこんなにハッキリと見えない 僕には肉体と血がある

僕は生きてる 生きてる こんなにも
ママの目の奥にある恐れを食べて生きている
僕を必要としてほしいんだ 驚くことじゃない
僕は生きてる こんなにも
僕は生きてる

僕は炎 燃えている
僕は破壊 崩壊 そして願望
ママを傷つける
ママを癒す
僕はママの希望 夢を叶える
でもいちばんひどい悪夢でもあるんだ
見ただろ
ママは僕のもの

ママが僕を生んだけれど ママは僕を変えられない
僕はママを知りすぎているけれど まったく別の人間

僕は生きてる 生きてる こんなにも
許してくれるなら 真実を話すよ
ママは生きてる 僕も生きてる なんでか分かる?
僕は生きてる こんなにも

僕は生きてる
ママのすぐ後ろにいるよ
忘れたくても忘れさせない
隠れても見つけるよ 知ってるだろ
僕の死を悲しまないなら ママは僕を置いていかないはずだろ?
できるはずないだろ?

違う 違う
僕は生きてる 生きてる こんなにも
ママが僕の背に乗れば 二人で飛べるよ
僕を拒否しようとしても 僕は死なないよ
僕は生きてる こんなにも
そうさ
僕は生きてる

歌詞の分析

最後はダイアナを縛り付ける亡霊、息子のゲイブが猛烈に自己主張をしてくる曲を。

この曲でゲイブが歌っている言葉は全部、ダイアナの妄想である。ゲイブが自分にそう叫んでいる気がしている。

ただの幽霊と話をしているのではない。そこにいると、幻覚で見えてしまっている。だから年齢も重ねる。いいところもダメなところも両方ある、普通の息子がいる気がしている。

だから、息子はもう死んでいると聞かされても「生きているよ、ほらここに」としゃべりだす。生きていてほしいからだ。血肉が通っていると信じたいからだ。

しかしそれが自分を縛る最大の悪夢だということも、どこかで知っている。というか、さっき聞いた。それでも縛られていたいのだ。生きていると信じたいから。

翻訳では省略したが、ゲイブは執拗に、攻撃的なまでに、「I’m alive」(僕は生きている)と繰り返している。ダイアナがいかに強く自分に「ゲイブは生きている」と言い聞かせているかがよく表れている。

最後に

いかがでしたか?第1幕の目玉曲にはダイアナの夫であるダンの大きなソロ曲が、最初の “Who’s Crazy” 以外にあまりありません。会話のように歌を挟んでくるか、短いソロばかり。そしてナタリーの恋人ヘンリーはまだその存在感を示していないような。

この男性陣2人が、第2幕で存在の重要性を増してきます。シリーズの次回は第2幕の目玉となる曲を翻訳・分析しますので乞うご期待!

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