CHICAGO THE MUSICALって、だから大ヒットロングランなのね ~ブロードウェイ版をシアターオーブで観劇しました!~

観たぞ!!やっと観た!!ずーーっと憧れていたブロードウェイ・ミュージカルの大ヒットロングラン『CHICAGO THE MUSICAL』。

ブロードウェイの皆様が渋谷のシアターオーブで英語で上演してくださるとのことで、迷いに迷った末に突撃。堪能。

アメリカ文化に詳しいとは言えない筆者ですので、感想にとどまらず手元のプログラムをもとに物語と音楽を深掘りしまくります。ぜひ最後までお楽しみください!

概要とザックリした印象

ほんの少しだけ本作の歴史を述べる。1975年ブロードウェイ初演。ダブル・ヒロインの一人ヴェル間を、かの有名なブロードウェイの大女優チタ・リヴェラが演じた。

音楽は『蜘蛛女のキス』を書いたジョン・カンダー(作曲)とフレッド・エッブ(作詞)。振付はボブ・フォッシー。これを1997年に新演出でリバイバルして以来、今に至るまで27年続くブロードウェイ最長ロングラン。

トニー賞6つ、オリヴィエ賞2つ、グラミー賞1つ。めちゃくちゃ名誉ある由緒正しきブロードウェイ作品だ。

ていうか、シカゴってどの辺?なぜシカゴ?

はい、筆者はCHICAGOについてほぼ初心者。そこからなのです。と、アメリカ大使館のホームページを調べた。

シカゴはイリノイ州。ニューヨークとロサンゼルスに次ぐアメリカで3番目に大きな都市。アメリカのほぼ中央だから人が集まる。

リンカーンが大統領になるまで長く住んでいた都市で、奴隷解放宣言に伴う新憲法をアメリカで初めて批准。ジャズやブルース発祥の地。

ジャズとダンスが決め手だよね?

そう、曲が全編ジャズ。本作がほかのミュージカルから一線を画しているのはここだ。

最初の場面、有名すぎる名曲All That Jazzで気分は一気にアメリカのジャズクラブへ。Cell Block Tangoでさえタンゴでありながらジャズの軽くてお洒落な空気感を含んでいる。

ミュージカル1作品につき必ず1曲はあるはずの壮大なバラードや甘~いラブソングがない。演劇というより物語付きのショーをジャズクラブで観ているような、お洒落な気分だった。

演劇的なセット転換や衣裳がないことも、ショーの要素を強くしている。時代や場所や人々の生活を反映したセットと衣裳が全くない。使う道具は梯子と椅子くらいだ。

舞台上の大半はオーケストラが占拠している。その前に広がる空間と、真ん中の階段を使って俳優が演技を繰り広げる。指揮者もたまに声を出したり、登場人物に絡まれたりする。

舞台の淵には待機しつつノリノリで反応したりツッコミを入れたりするダンサーたちが椅子に腰かけている。出演者はほとんど全員がダンサーで、黒のセクシーな衣裳に身を包み、ダンス中心の演出。ダンス好きにはたまらない。

でもこれだけで超ロングラン?

…になるとは思えない。なぜこんなに人気なんだろう。ここからは物語に突っ込んでいく。

正義を皮肉り、軽やかに嘲笑う物語と登場人物

アメリカってもんだねぇ。

超ロングランも納得だった。曲もダンスも終わり方も、色んな意味で気持ちがいい。愛とか戦争とか、深刻な気持ちになる悲劇の要素が全くないので身構える必要がない。

その代わり、辛辣な風刺になっている。アメリカ人が大好きな正義を、これまたアメリカ人が大好きな富と名声を使って笑い飛ばす。

が、考えてみれば、この対立する二項はアメリカ人だけではなく人類ほぼ共通で大好きだ。

物語は殺人を犯したロキシーが収監されるところから始まる。悪徳弁護士ビリー・フリンはメディアの話題をさらいそうな豪華な女殺人犯を弁護することで大金を稼いでいる。

同じく殺人犯で一流ダンサーのヴェルマは、ロキシーにメディアの注目を奪われ猛烈と反撃を試みる。

女囚たちを監視する看守ママ・モートンは全く役人らしくなく、女囚たちから大金をせしめて無罪獲得やメディアの注目を取るのを手伝う。

ロキシーとヴェルマにとって、無罪獲得よりもっと大事なのはメディアの注目を浴びること。しかしロキシーの無罪判決が出ると同時に別の殺人事件が起こる。

ロキシーは判決と一緒にカメラのフラッシュと人々の喝采を浴びるはずが、一人取り残される。がっくり肩を落とし、ハタと思いつく…ヴェルマと組み、女殺人鬼デュオとしてショーを売り出すのだ。

「しょうがないじゃん。いいのよ今が楽しけりゃ。なんにも残らないけど」

敗れた夢を軽やかに蹴飛ばすロキシーとヴェルマ。ショーで踊る2人は黒いジャケットに帽子をかぶり、楽しそうな笑顔を浮かべている。

ぜんっぜん感動しない、悲壮さもない物語。けど何なのだ、このスッキリ感。

そうか。観客の心にも楽しさ以外、なんにも残らない。楽しさ以外、なんにも持ち帰らなくていい。本作が愛される所以はそこかも知れない。

All That Jazz ~CHICAGOの核~

前述したように、この作品の肝は「ジャズ・ミュージカル」と名前を付けてもいいくらい、ジャズ命であること。

時代設定は1920年代末。第1次世界大戦が終わり、まだ世界恐慌も来ていない。好景気と平和にアメリカが沸いていた時代。

音楽史でいえばジャズの全盛期とのこと。ジャズという音楽はアフリカ人の奴隷から波及した歴史があり、もとはといえば辛い現実を嘲笑う音楽だった。

本作の冒頭を飾るAll That Jazzという曲。このタイトル、歌詞の中にも象徴的に何度も出てくる。字幕では「なんでもありよ」と訳されており「上手いっ!」と膝を打った。まさにジャズという音楽も、この物語も、「なんでもあり」。

Jazzという単語は音楽用語以外に「生き生きした」「エネルギーに溢れた」というような意味。しかしジャズという音楽の特徴はアドリブ(即興)だ。

歌も演奏もアドリブだけで何分も掛け合いをしたり、コンサートで毎回違うものを見せたりするのがいい。譜面などあってないようなもの。「なんでもあり」だ。

お金と名声のために法廷でショーをするビリー・フリン

物語自体もjazzってる。流れは前述の通りだが、ご覧の通り登場人物たちがハチャメチャすぎて、今でもなかなか出てこないアイデアだろう。

特にビリー・フリン。音楽監督ジョン・モートンのインタビュー記事によると、ビリーは「All I care about is love」と優雅に自己紹介するが、これはソトヅラ。本当はお金と名声のために殺人を無罪に作り替える男。裁判や記者会見は、ただのショー。自分はそのスターで演出家。

少しそれるが、プログラムには法心理学者の若林宏輔さんのインタビュー記事も載っており、ビリーが悪徳弁護士と銘打たれる背景を解説していて非常に興味深かった。無罪も有罪も、明らかにされる真実ではなく「作り出される」場合があるというのだ。いかに共感を得るかで決まってしまうほどに。

なるほどビリーは「ロキシーを死刑にしたところでケイスリー(ロキシーに殺された間男)は戻ってこないと言えば、みんなそこで気づく。君を有罪にしても仕方ないと」と尋問のシナリオを作る。実際に裁判でそれを言った時、マスコミが「ああ~確かにそうね」と頷く。

そうして印象操作している時のビリーは、ものすんごくカッコイイ。可哀想なヒロインを救うヒーローを演じて手柄を立てられれば真実はどうでもいい。

殺人犯という形でスターになる夢を叶えたロキシー

Jazzってる登場人物はビリーに留まらない。ヒロインのロキシーも、感覚が常人とずれている。殺人犯として新聞にデカデカと自分の名前が載り、夢に見たスターになったと大はしゃぎするのだ。

スターダンサーになりたかったのにNOを突きつけるショービズ界。そこに現れた、冴えないけれどNOを言わない夫。でも、ものすごくつまらない日々にうんざり。そこに現れた愛人を殺して、私はまさかの有名人!

そんな人生を振り返り、新聞を広げてウキャウキャと喜ぶめちゃくちゃ長いソロがある。なのに最後は、今まで頑張って注目を集めてきた努力は何だったの?というくらい虚しい無罪判決。ポツンと座ってゆっくりと歌う。

…っじゃないでしょ!(笑)ここにはマトモな人はいないのかい!そう突っ込まざるを得ないほど、「なんでもあり」な物語と登場人物たちだ。

こんな感じでjazzという単語が持つニュアンスと物語の性質をすべて汲み取って、All That Jazzとは「なんでもありよ」。字幕翻訳者に心から拍手を送りたい。

元気になりたい時にオススメしたいミュージカルの一つになりました!

いかがでしたでしょうか?アメリカ文化に明るくないまま観劇しても、プログラムを入手するだけで想像の倍くらい奥が深いCHICAGO THE MUSICALの世界を楽しめる。

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