東京ディズニーランドの敷地内でもう一つのディズニーワールドを繰り広げるなんて、粋じゃないですか~劇団四季!
『美女と野獣』は私が子供向けの人形劇を卒業し、小学3年生で大人のミュージカルへの入門を果たした作品。そして世界がひっくり返るほど感動した作品。
週末や長期休暇に家族で観劇しようかな、何見ようかなと思われているお父さんお母さんがいらしたら、断然これをお勧めします。
ミュージカル『美女と野獣』を語るシリーズ第1弾。この記事はベルと野獣の人物像とラブストーリーを熱く深掘りします!是非最後までお楽しみください。
ラブストーリーはじわじわと
ベルのプリンセス像は理想の女性像の変化
子供に安心して見せられるメッセージと、大人が癒されるロマンティックなラブストーリー。その物語の中心となるのがヒロイン、ベル。
彼女がディズニー作品で誕生する前、ヒロインといえば王侯貴族のお姫様ばかり。条件が良く、自分を心から愛してくれる王子様は、すぐ近くではないにしても必ず現れる。将来を約束され、教育環境もまあまあワンパターンな姫君。
しかし平民出身のプリンセスは初めてだった。様々な生き方や貧富の差がある環境で生きてきた、普通の女性。そして、一筋縄ではいかないキャラだった。
住んでいる小さな村では本が大好きな変わり者として知られている。物語の背景は19世紀、貧しい女性の識字率はゼロに等しい時代かもしれないが、親がなぜ彼女に読み書きを教えたのかは描かれていない。
ただ、本を読んで外の世界の物語や豊かな表現を知っているから、彼女にとって小さな村での生活は退屈すぎた。同じ顔ぶれで、平凡な農業や商業で生き、早々と近くの男と結婚してまた平凡な子供を育てていく人生は理不尽だった。
なにより、本を楽しむ女性を村人たちは理解できない。
同時にベルは村一番の美人でもある。そこで村一番の男前でモテモテの人気者ガストンが求婚に来るが、ベルは受け入れることができない。なぜなら、ガストンは顔と筋肉と狩りの腕前と運動神経は抜群だが、人間性は薄っぺらく脳みそが空っぽだから。
ベルはこんなところで終わる自分ではないと信じているが、どうしたらいいかが分からないのだ。
ディズニーで初めての平民で、しかも女性なのに学問がある知性派。旧式な世界で生きていれば除け者にされる存在。幸せな結婚と美容にしか興味のない女性なら一も二もなく受け入れるだろうガストンのような男性は、ベルにとってはノーサンキュー。
ベルのこんなキャラクターは、21世紀の今ならむしろ「平均的な理想の女性」だと言える。突拍子もないわけではない。でも旧時代のプリンセスではない。ここが非常に親しみやすいし、幸せになってほしくて応援したくなる。
知性と行動で勝つ。今の女性はこうでなくっちゃね!と思わせてくれる。
心を閉ざした者同士が心を開きあい、やがて恋に落ちる
ベルがガストンの求婚を蹴った後、詳しい物語は見てのお楽しみだが、父親との別離というトンデモナイいきさつを経て現れたのが運命の人だった。
心を閉ざした野獣。王子として生まれたが、よくない意味で厳しく育てられた故に傲慢になり、失敗して魔法で野獣に変えられてしまった。召使たちもすべて家具に変えられ、城ごと深い森に閉じ込められ、希望を失っていた醜い野獣。
長いこと人とのコミュニケーションを全くとっていなかったから、優しくするということができない。そんな野獣とベルは正面からぶつかった。
父親を開放する代わりにベルが永遠に野獣の城にいるという約束はしたが、野獣はご主人様ではない。だから堂々と嫌なことは嫌という。父親にさよならも言わせてくれなかった酷い奴だと決めつけ、恐ろしい咆哮や威圧にも絶対に負けない。
しかし、どうも野獣はベルに一目惚れに近い感情を抱いていたようだ。でなければ数分前にバラに触れようとして怒られて城を飛び出したベルを追いかけはしない。
「またやってしまった」と後悔する場面がアニメ版では一瞬で終わっているが、なんと舞台版ではここで野獣の心の叫びを吐露するソロ曲「愛せぬならば」がある(歌ってないで早く助けに行きなさいよ!とツッコミたくなる気持ちは分かるが名曲なので許してちょうだい)。
ここで既に、ベルに思いを寄せている。そして雪の中へとベルを追いかけ、オオカミから彼女を守って負傷する。
ベルは倒れた野獣を放って村へ逃げ帰ることだってできた。一度は馬に乗ろうとするのだ。しかし、この人が来てくれなければ自分はオオカミの餌食になっていた。そう思ったベルは野獣とともに城へ引き返す。
オオカミと戦う危険を顧みず命を守ってくれた野獣をベルは介抱し、「ありがとう」と言う。
きっと野獣に変身してから一度も聞いていなかったであろうお礼の言葉。もしかしたら生まれてからずっと、滅多に言われない言葉だったかもしれない。
そして野獣も声をすぼませながら、「どう…い、いたしまして…」
子供心にもトキメク場面に違いない。しかし子供のころはちょっと感動するくらいでしかなかったこの場面、大人になってから見るとズキュン。
もう人間に戻れることなどないと諦めていた野獣。ベルも最初は野獣を全否定し、何を言われても突っ撥ねていた。いわば最初は二人とも心を閉ざしていた。それが交通事故を起こし、心の扉をこじ開けられてしまったようだ。
孤独と理不尽と戦いながら生きてきたベルにとって、野獣も同じ、孤独と理不尽と戦う男性だった。お互い初めて、理解し合える人と出会ったのだ。
か弱くて王子様を待つだけのヒロインも姫君をリードするだけの王子様もつまらない
恋に落ちた野獣が可愛いすぎる
小さな子供が劇団四季を観て「野獣こわい」って言ったらしい。おおお…そうか。私の初観劇は小学3年だったので余裕だったが、8歳未満だと怖いのかな(苦笑)。
でも安心してください。怖かったとしても最初だけ。第2幕でベルとの距離が縮まると、まるで少年のようになってしまう(笑)。
野獣は恋をしたことで劇的な変化を遂げる。まず、第1幕では毛むくじゃらの上半身をさらしマントとズボンだけを身につけているが、第2幕ではきちんと白シャツを着ている。ベルに対する仕草も言葉も柔らかくなる。
びっくりするのはアニメ版にはないちょっとした場面。ベルが村娘のエプロンのついたドレスから可愛いドレスに着替えてくると、ルミエールが「ドレスのことを何か言うのです」とアドバイス。野獣は少し考え、「…ピンクだ」。
ズル~~~ッ!!!ドリフだったら全員コケている。違うのよ、似合ってるとか可愛いねとか褒めなきゃ~~!!!
こういう、恋愛に慣れていない感じが微笑ましくていい。ここで女に慣れているキャラだとちょっとね。
さらに、ベルを初めて図書館に案内する時。野獣はベルが図書館を喜んでくれた時、両手をガシッと握って「やった!」と満面の笑顔。なんて純粋なんだ。なんなんだこの変わりようは。
初めて愛することを知ったときに
城に来たばかりの頃は見向きもしなかった野獣に、ディナーを一緒にしたいと申し出るベル。美味しい食事とダンスを楽しんだ夜、今夜こそ愛を伝えるのだと準備していた野獣。ベルは城に野獣と一緒にいて楽しいと、気持ちも確かめた。
しかしベルは、城に来て以来会えないままの父親を恋しく思っていた。
そのとき野獣は、もう彼女を縛り付けることはしなかった。囚われの身などではない。大切な人だった。だから、彼女の大切な父親に会わせてあげたかった。一度戻ってしまえば帰ってくるわけがない。でも、もう二度と会えないとしてもベルの望みが最優先だった。
野獣は本当に愛し愛されたときに魔法が解け、人間に戻れる。しかし愛することを知った時、彼女は手から滑り落ちた。愛されることを諦め、望みはついえた。
それでも行かせずにはいられなかった。愛しているから。
野獣の痛みはどれほどだっただろう。茫然自失で歌う「愛せぬならば(リプライズ)」はもはや、心ここにあらず。
まあディズニーだしラストは大逆転のハッピーエンドでしょと、物語を知らなくても観客は想像できる。しかし努力と真心があれば簡単に愛を手に入れられるわけではなかったのが、この物語の素晴らしい「もうひとひねり」。
ここまで野獣の変化を振り返ると、ベルがディズニー初のプリンセス像だったのと同じくらい、野獣も画期的な王子様であったことが分かる。
白雪姫をはじめとする、ハンサムで強くて優しいだけの理想の王子様とは違う。過ちを犯し、醜い姿で心を閉ざし、短気で不器用で、理想から一番遠いダメさ加減だ。そして最後は、一人の女性の存在によって変わることができた。
こんな愛すべき王子様、ディズニーの他の作品でもなかなか見ない。
終わりに
おそらく『美女と野獣』が作られた辺りだ。ディズニーの王子様がヘタレ化するのは。
『白雪姫』や『眠れる森の美女』の王子様より人間ぽくていいと思えたのかもしれないし、女性の進化がそんな前時代的なカップルを許容しなくなったと言ってもいい。
ディズニー・プリンセスの変遷は現代の女性の変遷を強く反映している。併せてプリンスも騎士道精神に基づいてなどいられなくなった。時代を反映するディズニーにおいて今でも最も親しみやすいカップルのラブストーリーがこれ。ベルと野獣が幸せをつかむこの作品である。
次回の記事では劇団四季の演出を語りまくります。心温まる物語を美しく飾る歌とダンス、城のキャラクターたちの見どころはいずこ?乞うご期待!
2025年4月末までのチケットをただいま発売中。チケット購入は劇団四季のウェブサイトへどうぞ。
コメント