「千と千尋の神隠し」2024年ロンドン公演大千秋楽(泣)配信公演の感想を感謝とともに

舞台版『千と千尋の神隠し』、4か月にわたるロンドン公演がついに終わってしまいました。

今回はロンドン公演大千秋楽の配信版を拝見。特典映像と共に味わったロンドン・コロシアム最後の公演。日英両国の人材が力を合わせて実現させた壮大な作品の制作現場を動画で味わうことができました。

日本の芸術作品としても画期的な公演。感慨深く寂しい思いがしています。感謝とこれからの発展への願いを込めて、印象深かったこと、考えたこと、感じたことを書かせていただきます。

開幕まで3週間、怒涛のリハーサル

日本とイギリス双方で、裏に表に舞台を作った人々には様々な壁が存在した。

最大の壁は言語。通訳を介しながらのコミュニケーションは忍耐力が必要だった。ジョン・ケアードの発言は常にパートナーの今井さんが通訳を。ほかにも舞台装置や照明、パペット、衣裳、舞台袖で演者の皆様をサポートする助手など、様々な場所に通訳さんが存在していた。

次に労働スタイル。労働倫理や仕事のペースが日英の舞台業界ではだいぶ勝手が違うようだ。

それもそのはず、日本でいう初日は、イギリスではプレミア公演。本当の初日が明ける前の数日間は、お客さんが入っているにもかかわらず準備段階。だから様々なところができていなくても許容範囲なのだ。

俳優さんの通しリハーサルをする前に装置や照明を仕上げ、演者さんが完成に近い形で演じられるようにと動きたいのが日本側スタッフ。対してイギリス側は演者のリハーサルと同時並行でテクをやればいい。

それだけでもピリピリ感がかなり違い、日本のスタッフが現地スタッフにヤキモキしている様子もうかがえた。しかし、その労働形態も長い期間ともに働きながらコミュニケーションを取ることで理解し合っていったようだ。

怒らない。話を聞く。違うかもと思っても、提案されたことはやってみる。だって、イギリスにも長い劇場の歴史がある。日本とやり方が異なるだけで、決して間違っていることはない。ただ、慣れている作業や流れが違うだけ。

日本の方が優れているか、イギリスの方が正しいか、議論するのは愚かというものだ。

てんてこ舞いの結果、舞台装置で危うく事故になりかけたり、大道具が破損したり、照明のソフトが合わずにほぼ一から作り直したり。稽古は遅れに遅れ、ゲネプロを2回予定していたのに1回しかできず、上白石さんはゲネプロ無し、ぶっつけ本番でプレミア公演を行ったようだ。

身の毛もよだつが、プレミア公演はそれでいいのかも。本当の初日には批評家や著名な俳優たちも駆けつけ、劇評もその初日を観たメディアが載せるからだ。

もうひとつ面白かったのは、100年以上も歴史のある劇場という環境で日本の皆様が迷子になっていたこと。舞台裏が迷路のようで、楽屋から舞台までが迷路のようなのだ。うわ~さすが…いや、なんでそんな分かりにくくしたの?と劇場の設計をした人にツッコミたい(苦笑)。

それでもロンドン公演は貴重な体験だった!

そんな火達磨のリハーサル期間を超えて、日本と違うイギリスのお客さんの直球的な反応を受けた。大人しくてあまり感情を表に出さない日本の観客に比べてイギリスの観客は反応がより正直だ。

笑いを取るための演出や台本が面白ければ遠慮なく笑う。決め台詞には「フゥ~♪」、グッと来た台詞には「Oh!」という溜め息が。お腐れ様が無事にお帰りになったハッピーダンスではやんややんやの大歓声。

当たり前かもしれないが、お客さんの反応に俳優さんのお芝居も影響を受けたようだ。どっと笑いが来るところの間を長く取ろう、など。プレミア公演を経て演出が少しずつ変化していった様子もうかがえた。

リハーサル期間でもっとも印象的だったのは、プレミアが終わって本当の初日を迎える直前にジョン・ケアードがキャストにかけた言葉。

初日は批評家や著名人が100人くらいいる。彼らは日本と比べて辛口で、劇評は容赦ない。だからと言って演技に力を入れ過ぎないこと。あくまで誠実に物語を伝えること。落ち着いていれば大丈夫。

世界中がネットに繋がれた現代、おそらく「日本のアニメ作品が、日本らしい物語や風景が、ロンドンで受け入れられるだろうか」といった心配をしている人は、ほぼいないだろう。違う文化を吸収することこそが美徳と言ってもいいような多様性社会だ。

ジブリ作品は特に長い歴史を持っているから、字幕や吹き替えで作品に親しんできた海外の人は大勢いる。子供のころに『千と千尋の神隠し』はもちろんジブリ作品が大好きで、ジブリで育ったと堂々と言う人も普通にいるのだ。日本人ではないのに…と考えることさえ愚かしくなるくらい。

だから心配すべきは、舞台作品そのものの上質さだけなのだ。俳優さんの演技、演出の鮮やかさ、分かりやすさ、リアルさ、道具遣いといった、文化の壁をすでに取っ払ったところが勝負。

上白石さんがインタビューで語っていたが、ロンドン公演だからといって日本で上演する時と大きく変更したところはなかった模様。もし初演版と変えたところがあるとしたら、きっとどの国でもより分かりやすくなるような表現ではないかと予想している。

さあ、この辺の予習を済ませたところで、いざ本番の舞台配信を観てみよう。パソコンの前に正座して。

日本文化が全開!ロンドンっ子が目を輝かせる『千と千尋の神隠し』

号泣。この作品は、観客を神隠しに遭わせるのだ。

様々な場面に出てくる道徳的名言はもちろん、名前の尊さ、試練を乗り越えたハッピーエンド、久石譲さんの天下無双の音楽、どれをとっても心に刻まれる。

最初はダラッとしたしゃべり方で芯が弱そうなのに、たくましく成長する千尋。
怖さと愉快さを併せ持つ無敵の女主人なのに坊だけには弱いおばあちゃん、湯婆婆。
時々人間に見えなくなるほど動きがしなやかなハク。
ホッコリ優しいのに舞台を引き締める釜爺。
美しくツンデレで良き姉のリン。
鍛え上げた体でパペットに宿る、おばたのお兄さん渾身のゆるキャラ青蛙。
宇宙の果ての暗闇で何億年も孤独に彷徨ってきたような、踊るカオナシ。

演出は確かにほんの少し初演と変わった箇所はある。やはり分かりやすさの点だった。日本人で、元々のアニメ版を見ていない人もスピードについていけるような振付や台詞の追加があった。

こうやってイギリス向けの演出に変更を加えている中、ジョン・ケアードが言っていた。「なぜ『千と千尋』と、千 “and” 千尋というタイトルがつけられたのか今ならよく分かる。別人なのだ」

ジョンがそう感じたことが演出にはっきりと表れていた。千尋が湯婆婆と契約し、名前を書くところの印象がだいぶ変わった。

「まず苗字はいらないね。お前に家族はもういないんだから。千尋?贅沢な名だね。これからお前の名は千だ」

湯婆婆がそう言いながら、一文字ずつ名前を奪っていく。漢字が宙に浮いてユラユラと消えていく。そして「千」と呼ばれたところで千尋の体は大きく反応する。千尋でなくなってしまった瞬間だ。

危うく亡くしかけた名前を取り戻したのは、ハクがおにぎりをくれた花園。

ここで「命の名前」が優しく流れ、おにぎりを貪りながら千尋はワンワン泣く。亡くしかけた名前を、命を、再び体の中に宿すことができた。この場面はやっぱり涙なしに見られない。

インバウンドで日本へ旅行に来た外国人におにぎりが流行っているらしい。千尋が命を取り戻したおにぎり。日本人の多くが頬張って育つおにぎり。外国の皆様は美味しく楽しんでいるだろうか。

なぜ『千と千尋の神隠し』がロンドンへ行けたかよく分かった

私は長いこと疑問に思っていた。

日本ではミュージカルを輸入し、日本語に翻訳し、現地の演出を再現したり、こちらで独自の演出を付けたりして上演する。

なのに、なぜ日本の舞台作品は日本人ではない人々にも演じることができる物語や登場人物がちゃんとある作品もあるのに、同じように輸出して、現地の言語に翻訳して上演できないのだろう。

なぜ輸出ではなく、わざわざ日本人が日本語で演じる作品をロンドンに持って行ったのだろう。

私は仕返しすることばかり考えていた。日本で翻訳ミュージカルをやるように、海外で日本の作品を翻訳してやってやりたい!と。しかし『千と千尋』の目標はその上を行く。

考えてみたら、現地の言語ではない作品を4か月も上演するということ自体が世界に類を見ない。そう、作品の輸入と翻訳は世界中みんなやるが、現地の言語ではない作品のロングランは、だれもやったことがない。

この『千と千尋の神隠し』は日本的な要素とファンタジーの要素が強い。加えて、すでに世界中の人々にもお馴染みの作品となっている。文化面でもマーケティング面でも、この作品は強い。

だからこそ、これほど長期間にわたり日本人キャストが日本語で上演する最初の作品として、由緒あるロンドンの劇場で上演することが可能だったのだ。

思っていたよりも10倍すごいことを成し遂げたのだ。日本の作品が。『千と千尋の神隠し』が。

本当に心の底から今こそ言いたい。

おめでとうございます!!!!!

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