劇団四季ほか世界中で何十年も上演されている名作にしてアンドリュー・ロイド・ウェバー&ティム・ライスがその名を轟かせた問題作、ロック・オペラ『ジーザス・クライスト・スーパースター』(以下『JCS』)。
この作品、もっと若い頃はユダの面白さに注目していたが、今この年齢で、ビジネスパーソンとして、ピラト総督がいちばん共感できる。
ということで、『JCS』シリーズ第3弾はピラト総督にスポットを当てる。彼が何を考えたか、どんな状況判断をしたか、英語歌詞に私訳をつけつつ背景を紐解いてみたい。是非最後までお楽しみください。
ピラト総督によるキリストの裁判
一生懸命やったが戦略や計画性がなく燃え尽きたイエスやユダは悲劇のヒーロー。しかしピラトは、キリスト処刑という責任を押し付けられ、聖書の歴史で悪役として永遠に名を残してしまった。
いちばん割を食ったのは、責任ある立場だった彼だ。私としてはこっちのほうが、あ~かわいそ。
しかし。そもそもピラト総督って、だれですか!!という日本人が大半だろう。私もこの作品で初めて名前を知った。高校の世界史にも出てこないし、新約聖書の知識がある人くらいしか知らないだろう。
彼はポンテオ・ピラトといい、ローマ帝国から派遣されたユダヤ属州の総督。いわば知事のような人だ。当時のユダヤ王国はローマ帝国に属しており、そのユダヤ王国の王がヘロデ。つまり、ピラトはヘロデの上司に当たる。
キリストを逮捕したのはカイアファはじめユダヤ教の祭司たちだった。ピラトは様子を見て「なぁんだ。ユダヤ教の偉い人たちが新しい指導者にヤキモチ妬いてるだけだ」と分かった。
自分のところで裁くのも厄介だし、キリストがガリラヤ出身と聞いてヘロデに押し付けた。
ヘロデは少なからずキリストに興味を持っており、奇跡を目の前で起こしてほしいと言ったが、キリストはだんまり。激おこぷんぷん丸になって突き返してきた。
めんどくせーなと思いながらもピラトが尋問してみると、罪なんて見当たらない。盗みとか殺しとか反逆罪らしきものとか、全然ない。君ねぇ何にもしてないじゃん、それならそうと言えばいいじゃん。と訊いても、やはりキリストはだんまり。
罪状がないから裁けない。そこで、祭りのたびに誰か1人の囚人を釈放するという制度で、まあコイツが助かるだろうと踏んだ。だってもう1人の囚人は強盗殺人犯だったから、普通に考えて大丈夫だろうと。
しかしユダヤ教の祭司たちと、彼らに扇動されたユダヤ人の野次馬が、キリストを十字架にかけろとブッ騒いだ。
当時、死刑判決はローマからの総督しか出せないことになっていた。だがピラトは罪をデッチアゲることさえしたくないくらい、キリストに悪い印象がなかった。
しかし、あんまりにも群衆がうるさすぎて手に負えない。「罪状ないんだから磔なんかしませーん!」と判決を下せば暴動になりそうだった。ついにピラトは群衆の要求に屈した。
せめてもの抵抗といったところか。ピラトは水を持ってこさせ、群衆の前で自分の手を洗った。「私は責任ないからな!」という意思表示だったと認識されている。
ピラト総督はその後、合計10年の総督としての任務を終え、あのカリギュラ皇帝に流刑にされて自殺したとも、処刑されたとも言われる。
これが聖書に書かれているピラト総督の記録である。
暴動を防ぐために群衆の要求に屈したなら、群衆とユダヤ教の偉い人たちを黙らせるには自らの地位を犠牲にする必要があったのかもしれない。
でも、そこまで正義感のある総督でもなかったということだ。つまり自分の立場を守るために一人の罪もない男を犠牲にしたいうこと。
そういうダメな総督としても、神の子を殺した張本人としても、聖書で永遠の悪役として記録されてしまっている。全責任を負わされたリーダー。めちゃくちゃ残念で損な役回りだ。
でも、人間らしいじゃないか。キリストが奇跡を起こしたとか自分の悲劇の運命を知っていたとか、ユダが裏切りの末に壮絶な死を遂げたとか、マリアが娼婦から救われたとか、他の12使徒とか、キリスト周辺の人々のエピソードはどこか現実離れして、物語だけの世界にも思えてくる。
しかしピラトのエピソードは、1人の残念な総督の話。ちょっと親近感が湧かないだろうか。
いそうじゃん?こういう政治家が今でも。政治屋と揶揄されそうだし、権力の座にいる人はいつだって様々な立場の人との板挟みになってきた。
そんなピラト総督に敬意を表し、その思いを分析するため、ここからは彼の持ち歌に日本語訳をつけてみたい。
ピラトの持ち歌を翻訳してみた!
Pilate’s Dream/ピラトの夢
ガリラヤ人に会う夢を見た
素晴らしい男だった
滅多に見ない顔つきをしていた
憑りつかれたような、追われるような感じがした
彼に尋ねた 何があったのか
そもそもどうやって始まったのか
もう一度訪ねた だが彼は一言も答えなかった
聞こえていなかったかのように
そして部屋の中が怒りに荒れ狂う人々であふれた
彼を憎んでいるようだった
人々は彼に飛びかかり、そして
また消えた
今度は何十億もの人々が
彼のために泣いていた
彼らが私の名を呼び
責め立てるのが聞こえた
Pilate And Christ/ピラトとキリスト
ピラト:
だれだ、この傷ついた男は?廊下を散らかして
だれだ、この不運な男は?
兵士:
クライスト ユダヤの王とかいう男です
ピラト:
おお こいつがジーザス・クライストか
本当に驚いた
ちっぽけだな
全く王らしくない
みんな君のニュースを知っている
だが君は王なのか?
ユダヤの王か?
ジーザス:
あなたが言ったことだ 私は言っていない
ピラト:
どういう意味だ?
答えになっていない
おまえ 大きな問題の中にいるんだぞ
クライスト
ユダヤの王とかなんとか
この状況でよくそんなに冷静でいられるな
素晴らしいことだ 静かな王様よ
君はガリラヤ出身だから私のところへ来る必要はない
君はヘロデの民
君はヘロデに裁かれる
群衆:
称えよ さあ称えよ 喜びをもって称えよ
さあ称えよ でもどうやって?
ヘイ J.C. J.C. 説明してよ
全てを手にしていたのに
どこへ行ってしまったの?
Trial Before Pilate/ピラトの裁判
ピラト:
それで 王様が再び私の客人となった
だがなぜ?ヘロデは気に入らなかったのか?
カイアファ:
ナザレ人はローマが裁くことになっています
我々には彼を死刑にできる法律がありません
彼を磔にしてください
あなたがすべきことはそれだけだ
彼を磔にしてください
あなたがすべきことはそれだけだ
ピラト:
ジーザス・クライスト 話すのだ
君の民に手錠をかけられ 打たれ
ここに連れて来られた
なぜそうなったか分かるか?
聞け ユダヤの王よ
君の王国はどこだ
私を見ろ 私はユダヤ人か?
ジーザス:
私の王国はこの世界にはない
私は終わったのだ
どこかに私の王国があるのかもしれないが
知っているはずがない
ピラト:
なら君は王なのか?
ジーザス:
あなたが言っているだけだ
私は真実を求め 破滅させられた
ピラト:
なら真実とはなんだ
法律を変えることか?
我々にはそれぞれ真実がある
私の真実は君と同じものか?
群衆:
磔にしろ 磔にしろ
ピラト:
なんだと?
自分たちの王を磔にしたいのか
群衆:
王はカエサルだけだ
ピラト:
彼は間違ったことはしていない
なにひとつ
群衆:
王はカエサルだけだ
磔にしろ
ピラト:
いまさらカエサルを敬うだと?
今までそんなもの全く示さなかったくせに
ジーザスとは何者だ?何が違うのだ?
カネで救世主を選ぶのか?
群衆:
彼を磔にしろ
あなたがすべきことはそれだけだ
彼を磔にしろ
あなたがすべきことはそれだけだ
ピラト:
話すんだ ジーザス・クライスト
おまえのジーザス・クライストを見ろ
彼が狂っているのは分かる
閉じ込められるべきだ
だが死なせる理由にはならない
ただの哀しいちっぽけな男だ
王でも神でもない
泥棒でもない
罪などない
群衆:
磔にしろ
ピラト:
この男を見ろ
ズタボロの王を見ろ
群衆:
我らの王はカエサルだけだ
ピラト:
偽善者め
我々を憎んでいるくせに
群衆:
我らの王はカエサルだけだ
磔にしろ
ピラト:
理由がない 悪などない
この男は無害だ なぜうろたえる
自分が重要だと思い惑わされていただけだ
だがハイエナどもが望むなら鞭打ちにしてやる
群衆:
磔にしろ 磔にしろ
(39回の鞭打ち。ピラトが数えている)
ピラト:
いったい何者なのだ ジーザスよ
どうしたいのだ
教えてくれ
気をつけろ
じきに死んでしまうかもしれない
十分あり得るんだぞ
私がお前の命を握っているのに
なぜ声を出さない
なぜそんなに静かでいられる
分かっていないんだろ
ジーザス:
あなたは何も握っていない
権力はすべて彼方からやってくる
すべてが決まっている 変えることはできない
ピラト:
愚かなジーザス・クライスト
どうしたら助けられる
群衆:
ピラト 磔にしろ
カエサルを忘れるな
あなたには義務がある
平和を守るんだ 磔にしろ
カエサルを忘れるな
降格させられるぞ
追放されるぞ 磔にしろ
(3回繰り返し歌う群衆)
ピラト:
お前は自滅するのだ 止めはしない
死にたいなら死ね 勘違い野郎の殉教者め
お前が破滅するんだ 私は手を引く
死にたいなら死ね 清らかな人形め!
ピラトによる裁判の演出でおもしろかったところ(2000年映画版、2012年UKアリーナツアー)
ピラトがどのように演出されていたか。今まで見比べた4種類の中で面白かったのは、2000年映画版と2012年UKアリーナツアーだった。
2000年映画版
このピラトは誠実かつ情熱的だった。
ピラトがキリストと会い、裁判をする悪夢を見たシーンはベッドの上だった。うなされて飛び起きたという感じがする。
尋問ではだいぶ緊張しているような気がしたが、総督として威圧したり毅然とした態度をとったり、ちゃっちゃとヘロデの元に送ってしまおう、でもそこまではちゃんと仕事しよう、という感じがした。
裁判では最初に冷静だったのが、悪夢がよみがえってくるのが分かった。こいつの扱いを間違ったら悪夢の通りになると。キリストと言い争いながら、喚き散らす群衆にむかって声を荒げる緊張感。
鞭打ちの刑を数えながらも、30回を超えるとイエスが可哀想で仕方ないという感じだ。鞭の音と一緒に体が跳ね上がってしまう。鞭打ち刑が終わり、倒れ込むイエスを抱きかかえ、「どうしたら助けられる」と囁くシーンなんて泣き顔だ。
そして最後に匙を投げるときはもう、どうにもならなかった無力感が怒鳴り声となった。そんなに死にたいなら勝手にしろ。私は何度も助けようとしたのに黙っているからだ。
2012年UKアリーナツアー版
これも説得力抜群だった。このピラトは徹底してクールなのが最後の最後に壊される。
悪夢のシーンは、出勤して裁判官の服装に着替えながら、手伝ってくれる部下に昨夜の悪夢を話している、という感じ。最後は「ははっ」と鼻で笑う。まあまあ変な夢でしょ?と後で笑い話にできるくらい軽いものであってほしいという願望が見えた。
驚くのは次。キリストがカイアファのもとからピラトのところに連れてこられた時、ピラトはなんとトレーニング帰りだった。Tシャツに短パン、スニーカーで汗だく。ジャージを着た付き人にペットボトルの水をもらい、腕立て伏せを数えてもらいながら最初の尋問をする。
は、は、破壊力抜群。このくらい急だったのと、バカにしてたのと、「この男が悪夢で出てきたガリラヤ人でありませんように」と祈るように「ぜんぜんカンケーないわこんな奴」と示したかった感覚。すんごく想像できる。
裁判のシーンは冷徹に進め、ついに死刑判決を下す「おまえは自滅するのだ 死にたければ死ね」から最後までは、さっきまでの冷静さはどこへ行ったというくらいの狼狽ぶり。全く望んでいなかった結果が、知的なこの人を思考停止させてしまった。
ピラト、1人の仕事人として辛い決断をしなければならなかったのだ。そしてキリストの12使徒たちが布教をがんばり、あれよあれよという間にヨーロッパ世界を宗教で支配してしまった。同時にピラトはキリストを処刑した張本人として、こんな形で語り継がれてしまっている。
やっぱり、めちゃくちゃ割を食っている。だれかピラトの肩くらい揉んであげようよ。
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