劇団四季「ジーザス・クライスト・スーパースター」予習にどうぞ♪多様な演出比較のススメ

劇団四季で『ジーザス・クライスト・スーパースター』エルサレム・バージョンという異色作がある。

この作品を知らない状態で「え?エルサレム・バージョンって、ほかのバージョンがあるってこと?」と思ったあなた、鋭い。そう。1971年の初演から現在に至るまで、この作品は世界で様々な演出がされている。

この記事では、直近の2024年秋に上演されるエルサレム・バージョン含め4つの演出版をご紹介。

ぜひ観劇前の予習にどうぞ。

はじめに

私は高校生でエルサレム・バージョンを観劇したことで基本のキを修めた。
大学生でジャポネスク・バージョンを観て「なんじゃこりゃ!面白すぎる!」
続けて2001年映画バージョンを見つけて「うわ、こんな斬新なのもあるの!」
最後に見たのが2012年UKアリーナツアー・バージョン。度肝を抜かれた。日本語の字幕のお粗末さはドン引きだったが、ブッ飛んだ演出が最高すぎる。

普通、初演版の演出は他の国で上演されるときにも再現するものだ。日本国内で上演される海外作品の多くは現地の演出を踏襲するし、細部を変えるとしても大枠は同じ。

しかし、この作品は長年のファンをあっと言わせる斬新な演出変更がなされている。こんなにも多様な演出が存在するミュージカル作品は世界で類を見ない。

劇団四季エルサレム・バージョン

これが純然たる初演の演出を受け継いでいるバージョン。最もオーソドックス。というか、このバージョンをやり続けているのが日本の劇団四季だけだったらどうしよう。そのくらい、他が違いすぎる。

衣裳や髪型やセットなどすべて、紀元1世紀の空気感を出している。ジーザスは黒く長い巻き髪、ジーザスはじめ民衆の衣裳はボロ。権力者はきれいな白の衣に宝石。舞台セットはシンプルな砂漠のような、荒野のような。坂になった地面のほかには何もない。

見た目が正統派なので、時代感を味わいたいならこれがいい。飾りっ気がなく、聖書や歴史の知識があるか物語を知っていれば一番スッと入ってくるかもしれない。

見どころはなんといってもユダが歌うSuperstar。ユダはすでに自殺した後で、おそらく地獄に落ちたのだろうか。罪人の手錠を両手からジャラジャラとぶら下げ、頭には磔にされたキリストと同じ荊の冠。

ユダが胸を掻きむしって苦しんだであろう思いを、嘲笑うようなアップテンポで歌う。コンサートでこれが歌われると手拍子で盛り上がるところだが、物語の中ではそうはいかない。ユダはニタッとも笑わない。目の前ではキリストが血まみれで息も絶え絶えだ。

また、他のバージョンと見比べても一番いい演出として、キリストが鞭打ちの刑に処せられる場面をどうしても挙げたい。

鞭打ちって、どのくらいの痛みだろうか。打ちすぎると死に至る場合もあるが、キリストは39回打たれた。悲鳴を上げずにはいられないはずだ。

なのに、少なくとも私が観た時、四季のキリストは声を出さなかった。打ち据えられた衝撃で体が跳ね上がっても、背中が血まみれになっても、引きずられても、ひたすら無言で耐えていた。

目を覆いたくなる惨い仕打ちだった。でもすべてを悟ったような、すべてを諦めたようなキリストの姿が目に刻まれた。キリスト教徒の方々は我慢できなくなるかもしれない。

劇団四季ジャポネスク・バージョン

実は、四季での上演はこちらが最初だった。エルサレム・バージョンの方が世界初演に立ち返って後から実現されたのだ。

オリジナル版を知っていれば、オーバーチュアから「えーーっ!!」と思うこと間違いなし。和楽器がふんだんに使われている。鼓とか横笛とか琵琶のような音色も聞こえる。

メイクはなんと、歌舞伎の隈取。真っ白い下地に黒や赤でグイッとラインが書いてある。衣裳はというと、生成色のエルサレム・バージョンぽい上衣に白ジーンズ。

先日お亡くなりになった下村青さん(謹んでお悔やみ申し上げます)のヘロデ王なんて、青いアフロだぞ(笑)。あのアフロは下村さんが特別だったのだろうか?他の俳優さんのときは黒髪を結んでいた。しかしヘロデ王は歌舞伎の見栄もばっちり切って、いちばん愉快なのは間違いなし。

少しマニアックな見どころがある。ユダがファリサイ派の大祭司カイアファのもとへキリストのことを密告しに来る道すがらに注目したい。曲の構成上、ほかのバージョンでは描かれていないのだ。

でも和楽器を使ったこのジャポネスク・バージョンだと、ゆっくりと歩みを進めるユダの道筋に光が当たっている。その1本道しかないんだぞ、逃げ場はないんだぞと言うように。そして1歩1歩に合わせて和楽器が鳴る。

ユダがどんなに葛藤しながらこの選択をしたかがよく分かる。ピーンと張りつめた糸が今にも切れそうな場面だ。

このジャポネスク・バージョン、海外で上演してもいいんじゃないかと思うくらい和楽器の使い方がワクワクする。ぜひ四季では両方を観てほしい。

2001年映画バージョン

こちらは1973年の映画版を5倍くらい進化させた感じのリメイク映画。両方とも衣裳は現代的なジーンズやらランニングやら、でも場所は1973年版が荒涼たるイスラエルとパレスチナのロケだったのに対し、2001年はスタジオ。

これが衝撃だった。いかにもギャングらしい尖った服装の若者やスプレーの落書きがそこらじゅうの壁に。白を基調としたシンプルな背景や階段のほか、ファリサイ派の司祭たちの会議室やピラトが悪夢を見る寝室などが登場。舞台ではどうしても作れないリアルな空間が感じられる。

The Templeの場面では商店ではなく、いかがわしいナイトクラブが現れる。エロい衣裳の女たち、トランプ、ルーレット、薬と注射器、火を吐く手品師。

あーそういうことか!ただの商店が並んだマテリアル・ワールドだけでなく、神聖な祈りの場所なのに真逆になってたのね!と気づかされる。なぜ7拍子という歪んだリズムが使われているか、事態の深刻さがより分かりやすくなっている。

さらにヘロデ王の宮殿がまるで高級なクラブで、侍る女たちも高級なショーガールのようでオモロい。極めつけは、Superstarのユダの衣裳が赤い革ジャンと光沢のある細身の黒パンツ。なんて皮肉が効いているんだ。テレビの中継までいるぞ。

逆に、スタジオ制作の映像なんだから何でもできそうなのに敢えて「嘘の世界」を前面に出した面白さが、鞭打ちの刑で現れていた。

ここではなんと、鞭の代わりに黒々としたシーツのような衣裳で全身を隠した群衆がキリストを痛めつける。群衆の手に血が塗ってあり、鞭打ちの音に合わせ、かわるがわるキリストの体に血を塗りたくっていくのだ。

うわ、ちゃんと鞭打ちしているように見える。それに、鞭打ちを行う役人ではなく群衆を使うことで、キリストに危害を加えたくて仕方ない群衆の愚かしさやヒートアップした世論が強調されている。

リアルから離れた芝居仕立てが、かえって核心を物語る。こういうことを言うのだ。

2012年全英アリーナツアー・バージョン

いやぁ、おったまげた。とにかくすごかった。個人的にはこのバージョンが一番好き。絶対に見てほしい。エルサレム・バージョンとこれと、どちらを先に見るか?どっちもアリではないだろうか。

※1つだけ忠告すると、最初に書いたように日本語字幕があまりにも酷かった。四季版の訳詞をコピーしたうえ出来の悪い機械翻訳を吟味もせず切り貼りしたような印象。
秒数が有り余っているにもかかわらず英語の意味が取れていないのは高校生でも分かるだろう。漢数字とアラビア数字の表記ルールもできていない。
よくもまあこんな恥ずかしいものをアマゾンの日本語字幕として公開する気になったものだ。

この演出は、完全なる21世紀版だった。メディアと登場人物の表象が、笑えるほど現代の我々に身近すぎる。説得力が強すぎて2千年前の出来事と思えない。

まず最初はニュースで報道される社会問題がアップで映し出される。貧困、戦争、デモ行進、庶民の声を聞かない権力者など。そこにキリストと支持者たちが、虫が湧くように出てくる。

で、ハッシュタグ付きでキリストとか12使徒のキャッチフレーズが次々と映し出される。ソーシャルメディアで拡散しているのだ。これ、今までのバージョンだったら決してできなかったが今なら分かるでしょ?こうなりそうだなって。

ユダは大きなリュックを背負い、支持者たちのテントがそこら中に張られる場面も。活動のために移動しながら暮らしていることは想像に難くない。

ユダがカイアファのところへ告発しに来る場面なんて、まずスマホで電話してから訪問し、入り口の監視カメラにユダが映るのを見て司祭たちはニヤッと笑う。受付嬢に身体検査を受けて、ユダが入ってくる。現代で普通にあるシステムだから2千年前の話と思うと笑えてくる。

極めつきはマグダラのマリア。他のどのバージョンより切なかったし、とても共感できた。

いかにも夜の仕事をしていそうな、派手な化粧と髪型に革ジャンを身につけている。しかしキリストにかける言葉は優しい。好きなんだよな。
嫉妬を覚えたユダがマリアの仕事のことを罵る歌詞は、マジでユダの横っ面を張り倒したくなる。羽生結弦さんの結婚をぶっ叩いたケースと同じじゃん。

I Don’t Know How to Love Him がかつてなくグッと来た。歌いながら、マリアはけばけばしい真っ黒なアイシャドウと赤黒い口紅をとってしまう。薄化粧だけになったマリアは清々しい顔をしている。

自分の思いが真っ直ぐであることに気付き、せめて飾らない素直な笑顔でいようと思えたのだ。マリアがキリストに愛を告白することも、キリストがマリアに愛を囁くことも一度もなかった。しかし、2人でいた時間が彼女を変えてくれた。彼女が得たものは、失ったものよりも大きいと信じたい。

最後にもう1つ!みんな大好きヘロデ王!!

ちなみに、キリストが生まれた時に自分の権力を脅かす赤子が生まれたと告げられ、2歳以下の乳幼児を虐殺した有名なヘロデ王は、この人の父親。

ここに登場するヘロデも王に違いないが、このバージョンでは完全に無視されている。王というより、大人気司会者!!?

YouTubeとか報道番組ですごい有名人という雰囲気が満載。「逮捕されたイエス・キリストとヘロデ王が奇跡の対談(キラキラキラ~)」みたいな映像が流れ、めっちゃ派手に着飾ったヘロデとスタッフがキリストをソファに座らせる。

拍手を浴びせるお客さんに向かい、ヘロデは「アハハハどうもどうも~ファンの皆さ~ん」といった感じで登場。対談をライブ配信しながら、「キリストは本物の救世主か?偽物か?」と、同接の視聴者にオンライン投票を実施しちゃう。結果、本物と思う人が800弱、2万近くが偽物と答えた。

「はい残念でした。キリストさん出てっていただいて大丈夫ですよ~。皆様ご視聴ありがとうございました。また明日もお楽しみに♡」と終了してしまう。

めっちゃありそう。リアルにやりそう。

2千年前の中東で起こった聖書のエピソード、私達にはどうしても縁が薄いが、現代のメディア社会だったらどうなるか?という演出をしてくれるとよく分かる。令和の米騒動もこれ。都知事選もこれ。芸能人叩きもこれ。

なあんだ。私達も同じことしてる。人類はたった数百年で技術や思想こそ変化したが、案外進歩できていない。

 

☆☆次回予告です☆☆

2012年UKツアーバージョンで思いがけず私が同情してしまったのは、なんとピラト。この人がいちばん割を食ったと今ならよく分かる。面白すぎたので記事にしちゃいます!最初の尋問、鞭打ちの刑の執行、そして磔の判決。緊迫した芝居歌は、シングルカットこそできなくても翻訳してぜひ細部まで味わってほしい。

こちらからどうぞお楽しみください!

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