「イザボー」イザボー・ド・バヴィエールとは?最悪の王妃とは?

観てきましたよミュージカル『イザボー』!!大感動しましたよ!!

ワタナベエンターテインメントとMusical of Japan Origin (MOJO)が満を持して発表した日本オリジナルミュージカル。

本作を熱く語るシリーズ第1回では、主人公イザボー・ド・バヴィエールの人物像と歴史上での捉えられ方を紐解き、「フランス史上最悪の王妃」との呼び名がつけられた理由を考察します。

「変な名前。誰だそれ?」と思っている方も、ミュージカルを観て超絶カッコいい望海風斗さんのイメージがついている方も、英仏百年戦争を生き抜いた彼女にきっと共感できます。ぜひ最後までご一読ください!

史上最悪のフランス王妃イザボー・ド・バヴィエール。イザベル、よくぞ生きた。
そして制作陣の皆様、よくぞ蘇らせてくれた。こんなにも鮮やかに力強く。

もう悪女などと呼ばせない。世界中の女性たちが少なからず彼女に共感できるに違いない。決して尊敬できる生き方ではないが、せめて彼女のように、人生の最後に言い切ったら気持ちがいいだろう。

すべての希望もすべての絶望も私のものだった。私は生きた。これが私。文句あっか。

イザボーはなぜ悪女と呼ばれたのか

悪女とは、良妻賢母の逆を行く女

本作は劇作家で演出家の末満健一さんがジャンヌ・ダルクの劇を書いているときに「あれ?こっちの人の方が面白い」と思ったと書かれている。構想に10年かかったフランス王妃、イザボーの伝記物語。

歴史大好きな私は観劇前に桐生操さんの『血まみれの中世王妃 イザボー・ド・バヴィエール』(2017年)を読了した。書籍とミュージカルの2つからイザボーの人物像を感じ取ったが、まったく同じ印象だった。

どこが悪女だか言ってみろ。

2024年現在、私にはどうしても納得がいかない。

べつに彼女は犯罪者じゃなかろう?
彼女の失敗は、男だっていくらでもしているだろう?

男だったら悪人だの暴君だの呼ばれるのはネロ皇帝やカリギュラみたいな極端な例のみ。これしきのことで悪人のレッテルは貼られない。呼ばれるとしたら「ジョン失地王」みたいなダメ君主だろう。彼女も明らかにダメダメだが、残虐な真似はしていない。

彼女にだけ「悪」という文字が付くのはなぜだ。

まあそれだけでも当時の差別意識が分かるのだが、彼女が歴史に汚名を残す大きな出来事を振り返って理解した。悪女とは、はっきりと定義ができる。

悪女とは、女が男の立場を脅かそうとするとき、もしくは良妻賢母の概念を潰すとき、男によって作り出される。

参考にした書籍やネットのどれにも書いてあるのは、イザボーという名前の謎である。イザボーとは彼女の本名でドイツ語の「エリーザベト」がフランス風の発音で「イザベル」「イザボー」に変化した形。しかし死後には蔑称として使われるようになった。慣習が固有名詞になってしまうくらい嫌われていたということだ。

本当の意味で生きる女は、男にとってのテロリスト

英仏百年戦争時代のフランス王妃だった彼女が悪女として知られる理由は2つ。

1つ目は、男性の摂政たちより上の政治的決定権を手に入れたこと。イザボーの夫であるシャルル6世は精神疾患で知られるが、たまに正常になる時を見計らって、王に政治ができないときは妻が代理を務め、政治の決定権を持つという王命を下した。

イザボーが権力を握るきっかけとなったのは、夫の体調が悪い時に代わりに政治の仕事をし、夫を守る権利を与えられなかったことだった。

イザボーは夫を支えなければと思っているのに、王に代わって権力をほしいままにしている摂政フィリップと彼の息子ジャンに、女は子を産んでいればそれでいいと言われてしまうのだ。プライドがズタボロになった彼女は、ルイと怪しい関係となって援助を得、前述の王命を下させる。

実を言うと、これは史実とは違う。桐生氏の研究をもとにした詳細はこちらの記事でフィリップに注目しつつ述べているが、ミュージカルの物語ではつまり、妊娠マシン扱いされた女が男をギャフンと言わせたのだ。

深紅のドレスで着飾り、目を見張るような美しさで「私は生きる。それがいけないというなら獣になる」と歌い上げる。

壮絶な覚悟がうかがえる。その時に頼りになるのが、学問や能力ではなく体だったというのが悲しいところではあるけれども。

暴挙ともいえる手段で権力を握った彼女は、なるほどテロリストである。まるでブレイディみかこさんが『女たちのテロル』(2019年)で描いたエミリー・デイヴィソンのよう。「いつまで生きながら殺されているつもりだ」と。

ここが第1幕のクライマックスで、物語全体を通しても一番感動するシーンである。

王妃として、母として失格とされた事件

2つ目は、性的なだらしなさ。シャルル6世は妻の顔も分からず、イザボーはひどいDVを受けていたらしいが、男にとって女の貞淑は大事なのだ。しかし彼女の場合、政治的に自分の保護者になってくれる他の男性たちが必要だから、すべて体で落とした。だからたくさんの愛人がいた。

彼女の悪名を決定的にしたのは、トロワ条約とそれに続く息子シャルル7世の廃嫡。イザボーにとって11番目の子であるシャルル7世以外の息子たちは全員没してしまい、皇太子が不在の中、イザボーはイングランド国王に娘のカトリーヌを嫁がせた。

つまり現役の英国王とその子孫をフランスの王位継承権第1位にした。敵国イングランドにフランス王位を渡したのである。

しかしイングランド王は夭逝し、シャルル6世はまだ生きていた。となると、俄かに息子シャルル7世に王位継承の可能性が高まる。だがしかし、シャルル7世はイザボーにとって政敵であり、味方の愛人を暗殺した張本人だった

そこでイザボーは自分の息子を、夫の子ではなく愛人だった王弟ルイの子だと公にしたのである。シャルル7世は廃嫡され、ジャンヌ・ダルクを借りなければ戴冠できなかった。つまりは、奇跡の少女が命懸けで守ったフランスの正当な王を廃嫡していたのがイザボー

母親失格だ、王妃失格だという次第であろう。もしイングランド王がシャルル6世より長生きしていたり、シャルル7世が「正当な王」と人々に認めさせる力が働かなかったら、イザボーの呼び名も違っていただろうか。

イザボーは悪女ではない。ただ、「ざんねんな」王妃

当時は英仏百年戦争下。かつてなく女性の地位が落とされ、ただただ子供を産むためのロボットのように扱われてきた。その中で、彼女はフランスの実質的な女王という肩書を手に入れたのだ。

さらに、権力を握ったはいいが蓋を開けてみれば国庫を私物化して贅沢三昧。民には重税を課していた。ぜんぜん真面目に仕事なんてしていなかった。

男が女よりも絶対に1段上という揺るがぬ尊厳を脅かしたうえ、ろくに仕事もできなかった。
妻としては貞節を守らず、自分の子を辱め、あげくの果てトロワ条約でフランスを敵国に渡した。
屈辱の歴史を作った。

これが当時の彼女を記録した年代記作家の見解。つまり当時の男たちの視点である。しかしそれを600年後のわたしたちが掘り起こせば、まったく違って見えるはずだ。

彼女は夫が精神疾患を発症するまで政治に興味なんてなかった。子供を産むためだけの役割を期待されていたから、帝王学なんて勉強したことがない。それなのに肩書だけを持ってしまった。堅固な保護者を得られないまま、王宮の権謀術数と戦争に巻き込まれていた。

そこにいるのは貧乏籤ばかりを引き、それに抗う知性や人材を持てなかった、残念な王妃である。

抱き締めてあげたくなってしまうじゃないか…と書いてハタと気づいた。そうだ、シャルル7世が最後のシーンで母をガバッと両腕の中に包んでいた。あんなに憎んでいた母を。

そういうことなのだ。とことん残念なことばかりだったのに、一生懸命に生きた。

エリザベス女王のような名君ではない。聖マーガレットのようなアゲマンでもない。歴史上の功績は何一つ残していないけれど、心を死なせて体だけ生きるような虚しい人生を拒み、心が命じることに従った。

そんな一人の女性の生き様を、今のわたしたちはせめて抱き締めてあげたいのだ。頑張ったんだよねと。

イザボーは時代を超えて共感できる「最悪の王妃」

それに、一度でも「女のくせに」と言われたことのある女性なら、彼女の気持ちが理解できる。

書いているだけで胸糞悪いこのセリフ、言われたことがない女性っているのか?
小学生の時にはすでに男女共同参画社会が始まっていた私でさえ同級生のバカ男子どもに言われたぞ。
ほかのどんなイジメや喧嘩よりも鮮烈に覚えているぞ。
わたしたち女が「男のくせに」となじる時は、いつだって復讐だった。

変わっていないのだ。600年前も今も、女が女だからという理由だけで男に踏みつけられることがある。だから、どんな形でも性差別を受けたことのある人なら共感できる。彼女がどんな気持ちで生きたのか。

そして、男は女を踏みつける存在と思ってほしくない男性も多いはずだ。2024年の今なら。

歴史の中で男性によって歪められた女性を、現代のわたしたちが男女の垣根を超え、手に手を取って抉り出したことに、このミュージカル最大の価値があると私は信じる。イザボーという題材が何より光っているのである。

一刻も早くこの作品を世界に出しましょう。

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